「人格否定されたような面接を受けて心が折れかけた話

目次

それって、あなたの考えなんですか?」から始まった

これは“就職活動”ではなく、“評価される私”への挑戦だった

初めての転職活動だった。私はイッチ、社会人5年目。これまで小売業の店舗マネージャーとして働いてきたが、体力的な限界と今後のキャリアを考えて、異業種の事務職にチャレンジしようと決めた。

応募書類は何度も添削し、面接の想定問答も準備万端。企業研究も怠らず、口コミサイトや採用ページまでくまなくチェックして臨んだ。

その日、訪れたのは都内にある中堅メーカー。事務職としての採用で、会社の規模や働き方のバランスもちょうどよく思えた。

受付で案内された面接室は、やや古びた会議室だったが、特に違和感はなかった。そこに現れたのは、50代後半と思しき男性面接官ひとり。

始まって数分、最初の自己紹介や志望動機まではよくあるやり取りだった。

でも、最初に違和感が生まれたのは、私が前職での改善提案について語ったときだった。

「それって、あなたの考えなんですか?」

質問の内容自体は普通だ。でも、トーンが違った。

言葉ではなく、“視線”が明らかに疑っていた。


「あなたみたいなタイプはね」と言われた瞬間に、空気が凍った

その後も、面接官はことあるごとに“疑い”や“否定”を含む問いかけを繰り返してきた。

「転職回数が1回でもある人は、根本的に飽きっぽい傾向があると思うんだけどね」

「前の会社にいられなかったってことは、何か問題があったんでしょう?」

「あなたみたいなタイプは、周囲との協調に苦労することもあったのでは?」

言葉は丁寧。でも、その実、「あなたの過去は信用できない」と言われているようだった。

圧迫面接と呼ぶには静かすぎる。けれど、それゆえにじわじわと心が蝕まれていく。反論できない空気で、ただ肯定し、謝り、説明を繰り返す私がいた。

この時点で、私は「面接を受けている」というより、「人格を査定されている」感覚だった。


質問に答えれば答えるほど、自信が削られていく

「なるほど。でも、じゃあなぜそれを“自分の実績”として話すんですか?」

「たとえば、前の上司はどういう評価をしてたんです?」

「人と関わることに抵抗がないとおっしゃったけど、本当にそう言い切れる?」

私の返答に対して、「否定→誘導→突き詰める」という流れが延々と続く。

気づけば私は、最初に想定していた回答例からどんどんズレたことを口走っていた。

だんだん、自分が何を言いたかったのかも曖昧になっていく。

私は面接の場で、初めて“自分の輪郭”がぼやけていくのを感じていた。


これは評価じゃない、ただのコントロールだ

終盤に差し掛かったころ、面接官はふと口調を緩めてこう言った。

「ここまで話して、やっぱり正直に言うと、あなたは“型にはまっていない”タイプですね」

いままでの否定的な問いかけに加え、“あなたは変わっている”というレッテルまで貼られた瞬間だった。

「うちみたいな会社はね、チームワークが全てなので、個性より協調性を重視するんですよ」

この言葉に、完全に心が折れた。

ああ、この人は、私を見ようとしていたんじゃない。最初から、落とす理由を探していただけだったんだ。

面接官の目は、評価ではなく、“選別”をしている人の目だった。


面接が終わって、なぜか謝りながら帰っていた

「本日は貴重なお時間ありがとうございました」

自分の声が、まるで他人のもののように聞こえた。

建物の外に出たとき、私は小さく謝っていた。

「なんか…すみません」

なにが? 誰に対して?

でもそのときの私は、自分が“何か悪いことをした”ような気がしていた。

それが「圧迫面接」だと気づいたのは、もっとずっと後のことだった。

ネットの口コミと自分の体験が重なった夜

面接から帰った私は、夕食もとらずに布団に潜り込んだ。 何も考えたくなかった。でも、何も考えないこともできなかった。

スマホで「圧迫面接 人格否定」などと検索してみる。 そうしたら、自分とそっくりな体験談が大量に出てきた。

・最初から目を見てくれない ・意図的に話を打ち切られる ・否定される前提で話が進んでいく ・最後に「協調性がなさそう」とまとめられる

自分が今日体験したことと、ぴたりと一致していた。

「やっぱり私のせいじゃなかったんだ」 その感覚が、何よりの救いだった。


SNSにも似たような経験をした人たちがたくさんいた。 「心を折られたけど、あれで会社の本性が見えた」 「面接官が人格否定してくる会社は、入っても地獄だった」

ひとつひとつに、うんうんと頷きながら読んだ。 たぶん、画面の向こうで誰かが「あなたのせいじゃないよ」と言ってくれている気がしていた。


私の転職活動は、まだ始まったばかり。 でも、すでに最初の“壁”にぶつかってしまったような気がしていた。

私は悪くない。でも、それでも自信は少し削られてしまった。 「もう一社受けるのが怖い」 そんな気持ちが、正直にあった。

でも同時に、「あの面接で落ちてよかった」とも思っていた。 だって、あの人の下で働くことを想像しただけで、今でも胃が痛くなるのだから。

身近な人との会話でようやく“怒り”が出てきた

あの夜、私は久しぶりに大学時代の友人・あやかにLINEをした。

「今日の面接、ちょっとやばかったかも」

すぐに電話がかかってきた。あやかは私の転職活動を応援してくれていたひとりだった。

「で、どんな感じだったの? あやしい質問とかあった?」

私はできるだけ冷静に、面接の流れを話した。 でも、話しているうちにだんだん悔しさがこみ上げてきて、涙声になった。

「…なんかさ、自分が悪いことしたみたいな感じになって。最後に謝って帰ってきちゃった」

すると、あやかは即答した。

「それ、完全に圧迫面接だよ。っていうか、もうハラスメントの領域じゃん!」

はっきりそう言われて、私は初めて“怒り”を感じた。


私はあの面接のあと、悲しみと落ち込みだけを感じていた。 でも、「怒り」はなかった。 なぜなら、「自分が悪い」と思っていたから。

けれど、あやかとの会話で気づいた。 「怒る」って、自己肯定の第一歩なんだって。

私の感じた違和感は正しかった。

あやかは続けて言った。

「そういう面接官ってさ、会社の顔じゃん? そんな人が前線にいる会社って、もう無理でしょ」

そうだ。その通りだ。 私が悪かったわけじゃない。そう思えた瞬間だった。


あやかはその後も、LINEでメッセージをくれた。

「次受けるときは、違和感感じたらこっちから断っていいんだからね」

「面接は“選ばれる”だけじゃなく、“選ぶ”立場でもあるんだから」

「イッチなら大丈夫だよ。ちゃんと見てくれる会社、絶対あるよ」

その言葉に、私はようやく肩の力が抜けた。


ひと晩中泣いたあと、私は久しぶりに朝ごはんをしっかり食べた。 それだけで、なんだか心がちょっとだけ元気になった気がした。

次の面接では、もっと自分を守ろう」と決めた日

あの夜以来、私は少しずつ、転職活動への姿勢を見直し始めた。

あの面接を思い出すと、いまだに胸の奥がひりつく。 でも、そこから学んだことも確かにあった。


自分を守る“質問リスト”を作った

まず私は、次に面接を受けるときのために、自分用の“質問リスト”を作った。

・面接官は目を見て話してくれるか? ・否定ではなく、対話として質問してくれるか? ・こちらの話をきちんと聞いてくれるか? ・会社の雰囲気について具体的に答えてくれるか?

自分が「違和感」を感じたとき、逃げてもいいように、判断材料を持っておきたかった。

今までは「会社に選ばれる」ことだけを考えていた。 でも今は違う。「私もこの会社を選ぶ側なんだ」と、ようやく思えるようになった。


応募の基準も見直した

以前は、勤務地と条件だけで応募先を絞っていたけど、 今は「どんな人が働いているか」「どんな理念を持っているか」まで見るようになった。

採用ページの文言だけでなく、社員インタビューのトーン、SNSでの社内イベントの写真、 全部見る。どれかひとつでも「合わないかも」と感じたら、応募をやめた。

それは慎重というより、“自分を大事にする行動”だった。


面接で「違和感」を感じた瞬間に断った

そして、数週間後に受けた別の面接。

その会社は、条件面では申し分なかった。でも、一次面接で対応した人事の女性の対応に違和感を覚えた。

笑顔だけど、目が笑っていない。 質問の内容がなぜか“前職の失敗”ばかりに偏っていた。 そして、話すたびに「へえ〜」と冷めたリアクションが返ってきた。

あのときの面接と、同じ空気だった。

面接が終わった瞬間、私は帰り道のカフェでメールを書いた。

「本日面接のお時間をいただき、ありがとうございました。慎重に検討した結果、今回はご縁を見送らせていただければと思います」

自分から断ったのは、人生で初めてだった。 でも、不思議とスッキリしていた。

「私、ちゃんと“選べた”んだ」


失敗じゃない、“境界線”を覚えただけ

この一連の出来事を通じて、私は何かに合格したわけじゃない。 でも、何かを確かに“超えた”感覚があった。

それは、自分の輪郭を守るということ。

誰かに何を言われても、自分の価値まで明け渡さないこと。

転職活動は、自分という人間をどこまで開くか、そしてどこまで守るか、 その“境界線”を知る時間なのかもしれないと思った。

そして私は、次の面接で少しだけ自分の声に自信を持てるようになった。

ちゃんと見てくれる人」に出会えた日

その次に受けた会社の面接で、私はようやく“ちゃんとした面接”に出会えた。


初めて「聞いてもらえている」と思えた

その会社は、都内の小さなIT企業だった。 面接は社長と人事の方の2名。

入室の際に丁寧に挨拶してくれて、最初にお水を出してくれたのが印象的だった。

質問はオーソドックスな内容が多かったが、 話している間、2人とも何度も頷きながらメモをとっていた。

私が前職の話をすると、 「それって、現場での判断力が試された場面ですよね。すごいです」 と、ひとこと添えてくれた。

びっくりした。

あの圧迫面接のときとは、全く違う空気だった。 私は自然と、肩の力を抜いて話せるようになっていた。


評価される、というより“理解される”感じ

質問の中には、こんなものもあった。

「うちは少人数なので、むしろ“型にはまらない”人のほうが合うかもしれません」

「前職での経験、すごく活かせそうですね。たとえば、どんなふうに提案されてたんですか?」

ああ、こうやって聞かれると、人は自分の経験を“誇れるもの”として話せるんだなと思った。

これまで何度も自信を失いかけたけれど、 この面接では、自分の話が“価値”として受け取られていると感じた。

それだけで、涙が出そうだった。


面接後、初めて「もう一度話したい」と思えた

面接が終わって、会社を出たあと、私はひとりでカフェに入った。

あの圧迫面接の帰りと、同じような時間帯だった。 でも、心の重さはまるで違った。

そのとき、ふとこう思った。

「また、あの人たちと話したいな」

初めての感覚だった。

これまでは、「通過したい」「落とされたくない」ばかりだったけど、 このときばかりは、「あの人たちとまた話せたら嬉しい」と思えた。

それは、私がちゃんと“人として扱われた”からだったのかもしれない。


結果じゃなく、「過程」が私を救った

結局、その会社からは内定をもらうことができた。 でも、それよりも大事だったのは、

「自分の価値をそのまま認めてくれる場所は、ちゃんとある」

ということを、あの面接で実感できたことだった。

圧迫面接で受けた傷は、たしかに深かった。 でも、それを癒すのは、“ちゃんとした対応”をしてくれるたった一人の面接官だったりする。

私はこの面接で、ようやく自分の輪郭を取り戻せた気がした。

あの日の自分に、伝えたいこと

転職活動は、思っていたよりもずっと“自分と向き合う時間”だった。

企業に評価されるために始めたはずなのに、 気づけば、「自分で自分を認める」ための時間にもなっていた。


もし、あの圧迫面接をもう一度受けたとしたら

もう、あんなふうに心を削られることはないと思う。 なぜなら、「あれは自分のせいじゃなかった」と知っているから。

そして、あの日の自分が経験した“痛み”は、 いまの自分にとって確かな“境界線”になっている。

人を尊重しない人に、自分を明け渡さなくていい。 不安にさせる会社に、無理して合わせなくていい。


誰かが言ってた。「面接は、会社の性格が見える場所」

本当にその通りだった。

一方的にジャッジしてくる会社。 丁寧に聞いてくれる会社。

その“違い”を感じられるようになった自分は、 きっともう、どこに行っても大丈夫。


あの面接で折れかけた心も、今はちゃんと立っている

心が折れそうになったあの日の私へ、今ならこう言える。

「大丈夫。ちゃんとあなたのことを見てくれる人、必ずいるよ」

「いま泣いてることも、ちゃんと意味があるよ」

「だから、自分のことを責めないで。何も間違ってないから」


転職活動は、結果だけじゃなく「過程」にも意味がある。

そしてその過程で出会った、 ひとつの“ひどい面接”と、ひとつの“あたたかい面接”が、 いまの私をつくっている。

だから私は、あの日をなかったことにはしない。

あれも私の大事な経験。ちゃんと、通ってきた道だ。

そして今、自分の足で、次のステージに立とうとしている。


イッチちゃんの転職活動、まだまだこれから。 でも、もう迷わない。ちゃんと、自分の心と一緒に歩いていけるから。

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この記事を書いた人

元Webプログラマー。現在は作家として活動しています。
らくがき倶楽部では「らくがきネキ」として企画・構成、ライターとして執筆活動、ディレクション業務を担当しています。

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