バズりたい、それは誰しもが一度は夢見る魔法のことば
「先輩、私……SNSでバズりたいんですよね」
突然の宣言に、思わず飲んでいたカフェラテを噴き出しそうになった。
「え、今なんて?」
「バズりたいんです。SNSで、ドカーン!って」
そう言ってドヤ顔を決めるのは、うちの職場の最年少、新卒1年目の北川あいなちゃん。元気ハツラツ、でもどこかズレてて、会話のテンポも独特な“おもしろ系後輩”である。
私はというと、広告代理店で働く入社5年目の会社員、川島みお。いつの間にか“先輩”と呼ばれる立場になり、あいなの教育係を任されている。
最初は正直「めんどくさい子が配属されてきたな……」と思っていたけれど、今では彼女の存在が職場のちょっとした清涼剤になっている。
そんなあいなが、ある日のランチタイムに放った爆弾発言。それが「バズりたい宣言」だった。
あいな、唐突にバズりの道を志す
「最近さ、○○株式会社の公式X(旧Twitter)がめっちゃバズってたじゃないですか。ああいうのって、チーム内でも評価されたりするんですか?」
「まあ……あそこは企業アカウントの中でも動きがうまいし、話題になれば採用広報とかのブランディングにもなるから、注目されやすいのは確かだね」
「じゃあ私も、個人でバズったらワンチャンありますよね?社内表彰とか?」
「いやいや、そんな軽くバズれるもんじゃ……」
と返しかけて、ふと思い出した。
あいなは入社時の自己紹介で、
「趣味はショート動画を研究することです!」
と言っていた。あのときは“動画研究て!”と内心つっこんだものの、もしかしたらその知識が活かされる時が……いや、たぶん無理だろう。
作戦会議、その名も“あいなバズ計画”
その日から、あいなの「バズるための作戦会議」がランチタイムの定番となった。
「先輩、今日のお題は“人を惹きつける冒頭5秒のつかみ”についてです!」
「どんな授業……ていうか本業しよう?」
「本業はもちろん全力でやってます!これは“副業バズ”なんで!」
どうやら彼女の中では、“副業バズ”という新ジャンルが確立されたらしい。
最初は笑って聞き流していたけど、話を聞いているうちに妙に感心してしまうことも多かった。
- 「バズ動画の多くは、1秒目に“異常事態”を見せることでスクロールを止めてるんです」
- 「視聴者の共感ゾーンは“3秒から7秒”の間に作られるらしくて」
- 「いま流行ってるのは“偽ドキュメンタリー風”とか“自作ナレーション劇場”です!」
何者?情報がガチすぎる。
「……で、実際はどんなの作るの?」
「それがですね、“社会人1年目あるある劇場”を短尺動画で連続配信しようと思ってて!」
この瞬間、私の脳内に「やばい、絶対やらかすやつだこれ」の警報が鳴り響いた。
あいな、撮影スタート。職場に笑いの神が舞い降りる
翌週、あいなはついに行動を開始した。
「先輩!私の机でコーヒーこぼしてもらっていいですか?」
「え、なんで?」
「“新人が初任給で買ったお気に入りマグカップが割れた”っていう悲劇を演出したいんです!」
「演出て……それ実話なの?」
「いえ、フィクションです。でも“それっぽい悲劇”がウケるらしいので!」
こうして、昼休みに社内の一角で“リアルっぽい劇場”がはじまった。周囲の先輩たちも最初は驚いていたけれど、次第に“またあいなの撮影始まったよ”と微笑ましい目で見守るように。
彼女の演技はなんというか、雑に全力だった。
泣くシーンでは明らかにタマネギを仕込んでいたし、社長室の前で土下座するシーンでは「社長、今日はお休みです」と警備員に冷静に言われていた。
でもそれが逆におもしろい。
「これ、絶対バズる前に“会社でなにしてんの?”ってなるよ……」
と内心思いつつ、私もいつの間にか小道具係として参加するようになっていた。
巻き込まれたくない先輩たちと、ノリノリになる係長
やがて、社内でもあいなの活動はちょっとした話題になった。
「ねえ、あいなちゃんって、また新作撮ってるの?」
「最近“ランチでカップ麺しか食べられない新人”シリーズ見たわ(笑)」
中には「顔出しはマズいから」って遠巻きに見守るだけの先輩もいたけれど、なぜかノリノリだったのが係長の山崎さんだ。
「いいねいいね、もっとアップで表情撮って!」
「いや係長、プロデューサーですか?」
「映える角度って大事だと思ってね!」
しまいには、「俺も一回出演しようかな」とか言い出す始末。
「それはちょっと待ってください。視聴者層が混乱するので」
「え、どういうこと?」
「ターゲットは“20代社会人女性”なので、40代の熱演は“上司ガチ演技”に見えてしまって炎上リスクが」
あいな、そこまで分析してるんかい。
SNSの“笑える日常”って、こうして生まれているのかもしれない
私はあいなの活動を横目で見ながら、ふと気づいた。
彼女の動画には、「ありそうで、でもちょっとだけおかしいリアル」が詰まってる。
- 誰もが経験しそうな“失敗”
- 言い方ひとつで“ネタ”に昇華される会話
- 突拍子もない展開なのに、どこか共感できるラスト
これってまさに、SNSで求められてる“笑える日常”の縮図じゃないか。
たぶん、バズってる人たちも、最初はこういう“小さな観察”と“全力のムダ”からスタートしてるんだなって。
あいなはきっと、天才でもセンス爆発でもない。
だけど、“本気で楽しんでる”ってことだけは、誰よりも伝わってくる。
それが、彼女の最大の武器なのかもしれない。
拡散の波と、予期せぬバズの前兆
係長の出演が“事件”の火種になる
あいなのSNS動画プロジェクトは、ますます社内での認知を広げつつあった。毎週のように更新される「新卒あるある」シリーズは、あいなの個人アカウントでこっそり投稿されていたにも関わらず、徐々にフォロワーが増え、いいね数も二桁、三桁とじわじわ伸びていた。
「そろそろ“千リツ”目指せそうですね!」
千リツ――すなわち、リツイート1000件の夢。
一見非現実的に思えるが、今のあいなを見ていると“まさか”の可能性も捨てきれない。
そんな矢先、係長の山崎さんがついに出演する日がやってきた。
「『入社初日に名前を呼び間違えられ続けた新卒』っていうの、俺ぴったりだろ?」
「いやそれ、実話ですか?」
「うん、俺のとき“たかはし”って呼ばれてて、訂正するタイミングを完全に失ってた」
「え、じゃあいけます!めっちゃリアル!」
というわけで、“係長=間違えられた上司”という設定で短編ドラマが組まれた。
演技に乗り気な係長の「たかはしって誰やねん!」というツッコミが妙にウケて、社内でも撮影を見ていた先輩たちが爆笑するほどだった。
ついに来た、初めての“バズ”の瞬間
そして、事件が起きたのはその週末。
あいなが投稿した動画が、なんと8,000リツイートを超えた。
「え、ええええっ!? なにこれ!?!?」
LINEの通知をほったらかしで、私のもとに飛び込んできたあいな。
「先輩!なんか、あの動画、バズっちゃってます!!」
「えっ、うそ……?」
恐る恐るX(旧Twitter)を覗くと、件の動画が拡散されていた。
「新卒1年目が描く“リアルすぎる入社初日の悲劇”」
というタイトルとともに。
コメント欄もすごい。
- 「わかる!!間違えられすぎて自分が誰かわからなくなるやつ」
- 「演技力地味に高くて草」
- 「上司のツッコミ、完全に本物のたかはし」
あれ、これ……係長の存在感すごくない?
「私、いま、トレンド入りの端っこにいます!」
なんということでしょう。
まさかあの“職場コント”が、ネット民の心を捉えてしまうとは。
社内、ざわつく。情報共有は“噂”の速度で
月曜日。
出社してすぐ、空気が違うのを感じた。
「おはようございまーす」
「……お、おぉ……おはよう」
普段なら気さくに話しかけてくる先輩たちの視線が、どこかソワソワしている。
「(あれ?なんか変?)」
パソコンを立ち上げた瞬間、内線が鳴った。
「川島さん、ちょっと打ち合わせ室に来ていただけますか?」
呼び出されたのは、管理職の佐伯マネージャー。うちの部署のトップで、基本的には温厚で穏やかな人。
「実は……ネットの動画の件、ちょっと社内で話題になってまして」
「あ……はい、あの、あれはプライベートな範囲で――」
「もちろん、コンテンツとしては面白いと思います。ただ、撮影が“社内”である以上、今後は一言確認をもらえるとありがたいなと思って」
そうきたか。
「あいな、やっちまったな……」
と内心思いつつ、マネージャーの言葉はあくまで穏やかだった。
「あとは、係長の件なんだけどね……」
「係長?」
「動画が拡散された影響で、知らないアカウントから“面白い上司ですね”ってコメントが届いてるらしくて、本人ちょっとテンション上がってるみたい(笑)」
……どうやら、炎上というより“人気者誕生”に寄っているらしい。
SNSはチャンスか、それとも火種か
その日の昼休み、あいなはまるでピカピカの金メダルでも獲得した選手のように輝いていた。
「先輩、バズるって……すごいですね……世界が広がった気がします……!」
「いや、落ち着け。今それ“バズ疲れ”ってやつだから」
「これが、燃え尽き症候群……!」
完全に調子に乗っている。
「でも、会社的には一応“確認してね”って話になったから、これからはちゃんとルール守ってね」
「はーい!」
明るく返事をしたものの、SNSのバズというのは紙一重のバランスの上に成り立っている。
ひとつ間違えば、会社名や関係者の名前が広がり、想定外のトラブルになる。
でもそれでもなお、あいなの目はキラキラしていた。
「次は、“バズらせたくて空回る社会人あるある”をテーマにします!」
「自虐混じりで面白そうだけど、炎上リスクもあるよ……?」
「じゃあ“ちょっとバズった後に調子乗って怒られた話”にします!」
それ、今の話じゃん。
上司のリアクションが想定外すぎた件
その日の午後。
係長の山崎さんが、ニヤニヤしながら近づいてきた。
「川島さん、俺、これからTikTokのアカウント作ってもいい?」
「ええええっ!?」
「なんか、反応もらえるってうれしいんだよね~。“バズらせ系おじさん”っていうタグでやってみようかなって」
やめて、お願いだからそれはやめて。
「係長、それだけは全力で止めた方がいいと思います」
「えっ、そう?」
「絶対、部長に止められます。あと、身バレのリスクが全社的に高すぎます」
SNSがもたらしたものは、笑いと注目、そして、社内の誰もが“情報発信者になれる”という気づきだった。
それが良いか悪いかは置いておいて――確実に、空気は変わっていた。
SNSと現実の境界線が溶け始めた日
「あいな先輩」現象、社内を席巻する
あいなの投稿がバズって以降、部署内での“視線”が明らかに変わった。
「あの子、例の動画の人だよね」
「SNSのやつ?めっちゃ再現度高かったやつ?」
「係長が出てたやつ!?」
昼休みに同じフロアの別部署の人たちが、コソコソと話しているのが耳に入ってきた。
あいなはまるで芸能人でも見るかのように、どこか“遠く”から見られる存在になってしまっていた。
それにしても、これほど急激に人の印象って変わるものなんだろうか。
「川島先輩〜、なんか最近、褒められ慣れてない人から突然チヤホヤされて、戸惑ってます〜」
「それ“モテ期”とか言わないの」
「いまならラジオのパーソナリティとかやれますよね、私」
「やめて、調子に乗るな」
正直、私もちょっと“嫉妬”……というより、“あいなすごいな”という尊敬の気持ちすらあった。
あいなは、SNSというツールを使って自分を表現することに長けていた。
しかも、彼女の“笑わせようとしすぎない自然体”が、多くの人に届いていた。
「SNSでウケるには“気合いを抜くセンス”が必要なんですよ、先輩」
そんなこと、よくわかってる。
でも、それを**“本当にできる人”**って、ほとんどいない。
社内講演会のスピーカーに抜擢される?
バズの余波は、思わぬ方向にまで広がった。
ある日、部長が私のデスクにやってきて、
「川島さん、あいなさんの件、すごく注目されているね。今度、社内の若手研修で“デジタルコミュニケーション”をテーマにした講話をやろうって話があってね」
「えっ……まさか」
「うん。彼女、ゲストスピーカーにどうかって声が上がってる」
……あいな、お前どこまで行くんだ。
「でもSNSでの取り組みって、あくまでプライベートの延長線上じゃないですか?」
「だからこそ、これからの若手にとって参考になるんだよ。“炎上しないSNSの活用法”っていう視点で、実例として紹介するのもアリだと思ってね」
なるほど。会社側の目線から見ると、**“安全に広がるSNS活用例”**としてあいなの活動はまさに理想だったのだ。
とはいえ、内心ではモヤモヤも残った。
「(これって本当に、良いことばかりなんだろうか……)」
同僚のひと言が胸に刺さる
その日の午後、社内で親しくしていた同僚・片桐さんが、コーヒーを片手にぽつりと言った。
「ねぇ川島さん。最近、あいなさんのことばっかり話題に出てるけど……なんだか、ちょっと変な空気じゃない?」
「え?」
「“ウケ狙い”でSNS投稿してるのが、なんとなく“仕事も遊び半分でやってる”って見られちゃってる気がして」
その言葉は、まるでピンを打ち込まれたように胸に刺さった。
確かに、あいなは全力でSNS活動をしている。
でも、それが**「ふざけてる」と見える瞬間がある**のも否めなかった。
「SNSがうまくいけば、それでいい」
そんな風に見られ始めたら、彼女の本当の努力や誠実さが伝わらなくなってしまう。
そして、それは本人の意図とズレていたはずだ。
あいなの苦悩、「ウケる自分」に飲み込まれそうになる
数日後。
動画の投稿がやや滞り始めたことに気づいた。
「先輩……なんか、変にプレッシャー感じちゃって……」
「どうしたの?」
「“次も絶対バズらせなきゃ”って思って、ネタが浮かばなくなってきたんです」
……それ、私が一番怖かった展開だ。
「もう、“ウケないあいな”に戻れない気がして……」
「そんなことないよ。ウケるウケないじゃなくて、“あいなが面白い”って思うことが伝われば、それでいいじゃん」
「うん……でも、なんか怖いんですよね。前よりも“ウケ”を気にするようになっちゃって」
“バズ”は、時に毒になる。
「ウケること」に慣れると、それが前提になってしまう。
その期待に応え続けることは、普通の人には重荷だ。
原点に戻る。「楽しい」は他人が決めることじゃない
「もう一度、自分のために投稿してみたらどうかな?」
と私は言った。
「最初は、あいなが“楽しい”と思って始めたんでしょ? バズるとかじゃなく、“これ私っぽいな”って思えたら、それが正解なんじゃない?」
あいなは、しばらく黙っていた。
そして、小さく頷いた。
「……やっぱ先輩、ちゃんと見ててくれますね。
そういうの、ほんとズルいです」
「うん、私ズルいから」
ふふっと笑ったあいなを見て、私はホッとした。
あのキラキラした目が、少しだけ戻っていた。
“社内SNS炎上事件”のはじまり
異変は突然やってきた。一本の動画が火種に
その日も、私はいつものように出社していた。
社内に入った瞬間、いつもより静かな空気を感じた。
朝の「おはようございます」が、どこかぎこちない。
パソコンを開くと、通知がいくつか届いている。Slack、社内メール、LINE。
その中のひとつに、目を疑った。
「あいなさん、あれマズくない?」
あの投稿、消したほうがいいと思います」
「えっ?」
なんのこと?
焦ってあいなのSNSを開いた瞬間、私は固まった。
問題の投稿:まさかの“社内ネタ暴露系”
動画のサムネイルには「“あるある”な社内トラブル10選!#社会人の日常」と書かれている。
その時点では、ただのネタ動画に見えた。
しかし、中身を見ると……ちがった。
・「上司の“検討します”は99%やらない説」
・「会議で毎回“とりあえず様子見で”って言うあの人」
・「チャットでは優しいのに、会うと無言の人こわい」
演じているのはあいなひとり。でもそのセリフや雰囲気が、明らかに“社内の誰か”を彷彿とさせる内容だった。
「これは……まずい」
笑いの延長と受け取られなかった“風刺”
あいなの動画はあくまで“あるある”系の笑える内容に留まっていた。
しかし、見る人によっては“皮肉”や“批判”にも受け取れる。
そして、タイミングが悪すぎた。
ちょうどその週、別部署で人間関係のトラブルが表面化していたらしい。
そこにこの動画。
火種にガソリンを注いだようなものだった。
部長からの呼び出し、冷や汗の15分
「川島さん、ちょっと話せる?」
部長の声が、いつもよりトーン低めだった。
「……例の動画のことですか?」
「そう。問題のある内容ではないか、という問い合わせがいくつか入っていてね」
私は、すぐに事情を説明した。
・あいなは会社をバカにするつもりはなかったこと
・ただの“社会人あるある”として企画していたこと
・特定の人物を指していないというスタンスだったこと
「うん、それはわかる。けれどね――」
部長は言葉を選びながら続けた。
「“誰のことか”が明確じゃなくても、“誰かに似ている”というだけで、人は傷つくんだよ」
それは、SNSの怖さでもある。
発信者の意図と、受け取り手の解釈は、必ずしも一致しない。
あいな、沈黙。そして投稿を非公開に
その日の昼、私はあいなを連れて近くのカフェに入った。
いつもの冗談は通じない空気だった。
「……ほんと、私、やっちゃいましたよね」
あいなは、スマホをテーブルに伏せて言った。
「みんなが笑ってくれたから、“これは大丈夫”って、なんか勘違いしちゃってた。
バズって、認められたくて、どこかで“もっと攻めてもいい”って思ってた」
「……でも、気づいてよかったよ」
「先輩が気づかせてくれたんです。……動画、非公開にします」
静かにスマホを開き、指先で操作するあいなの横顔は、少し泣きそうだった。
“バズる”の代償と、SNSに潜む落とし穴
社に戻ると、空気は相変わらず重かったが、ひとまず大きな騒動には発展していなかった。
でも、あいなの表情はどこか抜け殻のようだった。
「もうSNS、やめた方がいいのかな」
そうつぶやいた彼女に、私は少し迷ってからこう返した。
「……やめる、じゃなくて、考え直してみたら?」
「考え直す?」
「“バズるため”じゃなく、“伝えるため”にやるっていう選択肢もあると思うよ」
SNSは、表現の場でもあるけど、誤解される場でもある。
そこに足を踏み入れる覚悟がなければ、いつか自分も傷つく。
あいなは、しばらく黙ってから小さく頷いた。
「うん……ちゃんと向き合ってみます」
そこへ、もう一人の“意外な人物”が動く
数日後。
「川島さん、ちょっといい?」
社内でも影が薄いとされていた、経理部の冴木(さえき)さんが声をかけてきた。
「実は……あいなさんの動画、私すごく好きで。
非公開になっちゃったの、もったいないなと思ってて……」
「えっ?」
「じつは、私も趣味で“配信活動”してるんです。匿名で。
でもあいなさんは“実名と顔出し”でやってるの、すごいなって思ってて。
あんなに楽しそうに表現してる人、なかなかいないですよ」
……まさか、冴木さんが“あいな推し”だったとは。
「よかったら、社内で“表現活動サークル”みたいなの作りませんか?」
まさかの展開。
あいなの炎上未遂から生まれた、新たな流れ。
SNSがもたらしたのは“問題”だけじゃなかった
炎上しかけたあの動画。
だけど、それがきっかけで生まれた繋がりもあった。
誰かにとっては「嫌悪」だったものが、
誰かにとっては「共感」や「勇気」になっていた。
SNSというツールは、使い方次第で敵にも味方にもなる。
大切なのは、“正解”を探すことじゃない。
“どう向き合うか”を、自分で決めていくことだ。
そして、それはあいなだけじゃない。
私自身にも言えることだった。
“SNS戦略室”爆誕と、後輩の再出発
冴木さんのひと言が、すべてを動かした
「社内で“表現活動サークル”……?」
あの日、冴木さんの提案に私は驚きを隠せなかった。
静かで無口、どちらかといえば“地味枠”に分類されがちな人から出てくるとは思えないキラーワード。
「匿名でずっと活動してたんですが……“発信”って孤独だから。
誰かとやれたら楽しいだろうなって、ずっと思ってたんです」
それは、あいなにも深く響いたらしい。
「わたし……やってみたいかもです」
彼女は少し照れくさそうに笑いながら、前を向いていた。
“SNS戦略室”という名の新プロジェクト始動
正式名称は『社内SNS表現研究会』。通称“戦略室”。
……なんか名前だけ見ると企業スパイっぽいけど、やってることはゆるめ。
・社内や個人のSNS活用について研究し合う
・動画編集やライティング、デザインなどのスキル共有
・「これやったらバズった」「やらかした黒歴史」報告会
ゆるいけど、意外と人が集まった。
初回から、営業部・開発部・広報部など、部署を超えて10人近くが興味津々で集まってきた。
しかも全員、「あいなの動画、ちょっと面白かった」とこっそり言ってくれた人ばかり。
なんだ、みんな見てたんじゃん。
「あいな式・バズ分析会」開催!
第一回の“戦略室”の目玉企画はこれだった。
「“バズったあの投稿”の裏側」
・なぜサムネイルに“赤文字×顔芸”が有効だったのか
・なぜあのセリフが社内に刺さったのか
・なぜ“演技風”にしたのに炎上しかけたのか
あいながスライドを使いながら解説するその姿は、もはや“講師”だった。
「え、普通に勉強になる……」
「そりゃバズるわ」
「この構成力、社内研修で使えるレベルじゃん」
拍手すら起きた。
私は思った。
SNSに真剣に取り組むって、こんなにも価値のあることなんだ。
“副業解禁”という追い風が吹く
ちょうどその頃、会社では“副業の申請制導入”が進んでいた。
「SNSで収益化したい場合は、事前申請すればOKにしよう」
という方針が出されたことで、“戦略室”の活動にも正当性がついた。
「じゃあ、あいなさんの動画投稿も“表現活動”として認められるんですね?」
人事部からも「内容によりますが、可能性はあると思います」と前向きな回答。
これにより、あいなは投稿を再開した。
もちろん、前回のような“炎上の火種”になりそうな内容は避けるようにしながら、
「社会人のお昼あるある」や「リモート会議の裏側」など、絶妙な切り口で攻めていた。
しかも、冴木さんが密かにサムネイルを手伝っていたりする。
地味にコラボが始まっているのがまた微笑ましかった。
「会社公認インフルエンサー」誕生?
そんなあいなの活動が話題になりはじめ、ついには社内報で取り上げられた。
タイトルは、
「社内の“発信力”を育てる人たち」
“戦略室”の活動と、あいなの再挑戦がクローズアップされた内容だった。
「実は私、SNSって怖いものだと思ってました」
「でも、自分でやってみてわかりました。“怖さ”の正体は、無知だったからです」
あいなのインタビューには、こんな一文もあった。
「今後は“社内の表現者”として、外部と社内の“架け橋”になりたいです」
……え? か、架け橋?
一気にかっこよくなってて笑ってしまった。
再生回数じゃなく、“届く”ことが大事なんだ
あいなのフォロワーは、以前より伸びが落ち着いていた。
でも、コメント欄が変わっていた。
「この動画、会社の同僚に見せました(笑)」
「まさに昨日の会議であったわ~!」
「これ作ってくれてありがとう。なんか元気出た」
あいなは、コメントひとつひとつに丁寧に返信していた。
バズることに必死だった頃とは違う。
「やっと、“見られ方”じゃなく“届け方”を考えられるようになった気がします」
あのキラキラしていた瞳が、今はしっかりと前を見据えている。
そして今、“戦略室”の新プロジェクトが動き出す
冴木さんが言った。
「動画、SNS、デザイン、文章――
社内のいろんな“クリエイター”が集まって、ひとつの作品を作ってみませんか?」
「社内イベントのPRムービーを、戦略室で作るってのは?」
広報部の斉藤さんが乗ってくる。
「ナレーションやりますよ、声だけはいいんで」
開発部の吉村くんも。
「BGMとか効果音、DTM得意な友達いるんで呼んでもいいですか?」
気づけば、社内の“趣味×仕事”がゆるやかに溶け合い始めていた。
誰も「それって業務ですか?」なんて言わなかった。
バズりたい、から始まった“つながり”
あいなは最初、“評価されたい”一心だった。
数字、注目、バズること――それだけを目指していた。
でも今は違う。
「なんか、バズらなくても満たされてるんですよね。不思議と」
それは、“誰かと共有できる喜び”が加わったからかもしれない。
数字は嘘をつかないけど、
人の心には“数字にできない価値”がある。
そして、SNSはそれを見つけるための道具なんだと、彼女が教えてくれた。
バズの向こう側に見えた“つながり”と“これから”
PR動画完成。そして社内はざわついた。
それはある週の金曜日、社内Slackの「全社アナウンス」チャンネルに突然投下された。
タイトルはシンプルに――
「イベント告知動画、できました」
投稿者は“戦略室”。
もちろん、企画・撮影・編集・ナレーション、全部内製。
動画が投稿された瞬間、社員たちのコメントが一斉に動き出す。
「センスが……想像以上」
「最後の“あるある”落ちで爆笑した」
「声の演技力、誰?」
「え、これ作ったの社内メンバーだけで? ガチでプロやん」
閲覧数は、社内動画としては異例の300回超え(ほぼ全社員レベル)。
あいなの名前が直接出るわけではない。でも、誰もが彼女の存在に気づいていた。
「ついに、自分の“届け方”がわかった気がする」
イベント当日。
PR動画をきっかけに集まった参加者たちは、初めて会う他部署の人と笑い合っていた。
あいなはその輪の端で、少し離れて様子を眺めていた。
「人前に出るのは、やっぱりちょっと苦手で」
そう言いながらも、表情は明るい。
「でも、こんな風に、誰かの記憶に残るものを作れるなら……
わたし、ずっとやっていきたいかもしれないです」
“届けたい”という思いが、“目立ちたい”を超えていく瞬間。
そこには、以前の“バズりたい”一心だったあいなはいなかった。
あいなは「社内専属クリエイター」になった
イベント終了後、広報部からオファーがあった。
「もしよければ、今後も社内向け動画制作に関わってもらえませんか?」
それは、正式な業務の一部として“動画・SNS発信”を担当してもらうという提案だった。
もちろん報酬も出る。業務時間内の活動として、会社の公式メッセージを発信する立場に。
あいなは驚きつつも、少しだけ胸を張ってうなずいた。
「こんな形で“バズりたい”夢が叶うとは思ってなかったです」
かつて、自宅の部屋で撮ったあの1本の動画。
誰に届くかもわからなかった、必死の投稿。
そこから繋がった道が、今の彼女を作っていた。
「私、ようやく“わたしの強み”に気づけました」
それからというもの、あいなは“戦略室”の企画チームに参加し、社内報やPR資料も担当するように。
アイデア出し、構成、撮影台本、ナレーション原稿――
最初は手探りだったことが、次第に“得意な領域”へと変わっていった。
「就活のとき、“特に強みはありません”って言ってた自分に教えてあげたいです」
彼女は笑いながらそう言った。
「“強み”って、与えられるものじゃなくて、気づくものなんですね」
そして後輩たちが、あいなを目指すようになる
“戦略室”のSlackチャンネルには、定期的に新人社員からこんな投稿が届くようになった。
「動画づくりに興味あります!参加できますか?」
「SNSって、会社で使っていいんですか?ルール教えてください」
「“バズらせたい”というより、“伝えたい”ことがあります」
あいなは、そんな後輩たちに丁寧に対応する。
決して「先生」ぶらず、でも確実に“道しるべ”になっていた。
彼女の変化は、会社にとっても新しい価値だった。
SNSは“笑われる場所”じゃない。“笑い合う場所”だ。
以前は、「SNSに必死な人、ちょっとイタいよね」と笑っていた人たちも、今は違う。
「真剣にふざけて、全力で届けようとする人って、すごい」
それをあいなが証明してくれたからだ。
バズることがすべてじゃない。
でも、“伝える力”を持つことは、これからの社会にとって大きな強みになる。
あいなはその先頭を走っていた。地味に、でも着実に。
“バズりたい”を超えた、その先へ
「SNSで人生変わるなんて、思ってもみなかったです」
彼女がぽつりとつぶやいた。
「でも、一番変わったのはSNSじゃなくて、“私自身”だったかも」
そう言って、少し照れながら笑う彼女の背中は、前よりずっと大きく見えた。
私たちは、バズりたい後輩を応援していたつもりだった。
でも気づけば、彼女に勇気をもらっていた。
“バズりたい”は、笑われる言葉じゃない。
それは、自分の声を届けたいと願う、まっすぐな気持ちだった。