部下を注意したら逆ギレされた。新人指導が難しすぎた件と私の対処法

目次

新人指導のはずが、「ハラスメント呼ばわり」されてしまった

「ちょっとした指摘」がまさかの通報されちゃった

それは、いつもの朝礼が終わった直後だった。

部署内で私が指導役として見ていた新人のHさん(22歳・新卒)が、突然、上司の課長に付き添われながら私の席にやってきた。
そして、信じられない言葉を口にした。

「〇〇さんの言動で、精神的に強いストレスを受けたと感じています」

……正直、最初は何のことか分からなかった。

私は普段から部下を怒鳴ったり、感情的に詰めたりはしないタイプだ。
Hさんにも、業務ミスがあった際にはやや厳しく指導したことはあるが、それはあくまで“業務上の確認と是正”のつもりだった。

だが、Hさんは明らかに動揺していて、目もうつろだった。
課長からも「一旦、指導スタイルを見直してもらえないか」と告げられ、私はただただ言葉を失った。


思い返してみた「注意の瞬間」

事の発端は、おそらく前週のこと。

Hさんが取引先に送った請求書の送信ミスが発覚した。
その内容は金額の桁が一つ間違っており、先方に誤った請求がいってしまっていた。

私は慌てて先方に電話して謝罪し、訂正書類を即日送付。
一件落着したように見えたが、その後、Hさんには以下のように声をかけた。

「Hさん、請求書の作成は最終確認までしっかり見ないとダメだよ。今回は私が気づいたからよかったけど、金額のミスは信頼に関わるから。次は注意してね」

これだけの話だった。

「大声で怒鳴った」わけでも、「人格を否定した」わけでもない。
だが、Hさんにとってはそれが強い“プレッシャー”だったのかもしれない。


指導者側の常識と、新人世代のギャップ

私は40代半ば。いわゆる「厳しくされて育ってきた世代」だ。

「仕事で怒られるのは当たり前」
「失敗は責任を持って次に活かせ」
「新人は、まずメモを取って覚えろ」

こうした“社会人の基本”を、若い頃は当然のように受け入れてきた。
実際、そうやって鍛えられた経験が、いまの自分の土台になっていると思っている。

だが、HさんたちのようなZ世代と呼ばれる若者たちは、「怒られる」「注意される」という経験そのものに過敏だ。
指摘の仕方がフラットであっても、「攻撃された」と受け取る人もいる。

もちろん全員ではない。
だが、「厳しさ=愛」だった時代の価値観が、いまでは通用しないことも多い。

このギャップこそが、指導とハラスメントの境界を曖昧にし、
指導する側を“加害者”にしてしまうのだ。


相談先がないという“孤独”

Hさんとの一件のあと、私は数日間、会社に行くのが憂鬱だった。

上司に詳しい状況を話しても、「最近は難しいからね」と苦笑いで済まされる。
同僚に軽く相談しても、「俺も似たようなことあったよ、気にすんな」で終わる。

誰も「自分が責められる側になった」状況について、真剣には捉えていないように思えた。

——私は何か間違ったことをしたのだろうか?
——それとも、いまの世の中が変わっただけなのか?
——でも、言わなきゃまた同じミスをするのでは?

そんな葛藤をひとり抱え続けるうちに、「指導すること自体が怖い」と感じるようになっていた。


それでも“言うべきことは言わなければ”と思った理由

社内で指導係に抜擢されたとき、私は強く責任を感じていた。

「後輩を守るのは、自分しかいない」
「自分が仕事の基礎を教えなきゃ、誰がやるんだ」

そんな気持ちで、メモの取り方からメールの文面、電話対応の作法まで細かく教えてきた。

もちろん、時には厳しいことも言った。

だが、それは“意地悪”ではなく、“育てるため”だった。
だからこそ、Hさんからの申し出と「ハラスメント」という言葉に、私は深く傷ついたのだと思う。

それでも──私は指導をやめなかった。

なぜなら、「言わなかったことで後悔する未来」の方が怖かったから。
後輩の成長の機会を奪い、職場に不安が残ることの方が、はるかに大きな問題になると考えたからだ。


この出来事は、私の働き方、教え方、伝え方をすべて見直すきっかけになった。

「正しく伝える」とはどういうことか?
「言葉で人を動かす」とはどういうことか?
そして、「誤解されない指導」とは何を意味するのか?

次のセクションでは、私が実際にとった行動、社内で起きた変化、そしてHさんとの再接点についてお伝えしていく。

指導か?ハラスメントか?迷いながらも伝えた“その先”で

上司への相談と、社内での方針確認

Hさんからの「精神的ストレスを感じた」という申し出を受け、私は自分なりに動き出した。
最初に行ったのは、直属の上司である課長との1対1の面談の場を設けてもらうことだった。

私はこれまでのやりとりをすべて振り返りながら、
・注意の内容は業務ミスに対するものであること
・声を荒らげたことも、否定的な人格攻撃もなかったこと
・むしろ指導として必要なやりとりだったという認識であること
を冷静に伝えた。

課長は「〇〇さんの意図はわかる」と言いつつも、今の会社が推進する「ハラスメント防止ガイドライン」に照らし合わせると、
「受け取る側がどう感じたかを重視する姿勢に変わってきている」と話した。

つまり、言った側の“意図”よりも、受け取った側の“感情”のほうが重視される。

その瞬間、私は納得と戸惑いがないまぜになった。
確かに、職場の安全性や多様性を尊重する流れとしては当然だと思う。
しかし一方で、それは“指導ができない職場”にもつながりかねないと危機感を覚えた。


ハラスメント研修の中に見えた“ヒント”

後日、偶然にも社内で「職場のハラスメント対策」研修が開催された。

全社員対象であり、パワハラ・セクハラ・マタハラなどの定義と事例が共有された。
その中で、私がとくに心に留まったのが「マイクロアグレッション」という言葉だった。

これは、無意識の偏見や些細な発言・行動が、相手にとってストレスや屈辱となることを指す。
たとえば、

  • 「このくらい、普通にできるよね?」
  • 「やる気ある?」
  • 「若いんだから吸収早いでしょ」

など、悪意なく発せられた一言でも、相手の自己肯定感を削ってしまう可能性があるという。

——ああ、自分も無意識にこういう言い方をしてしまっていたかもしれない。
そう思った瞬間、私はようやく“自分ごと”としてHさんの感じた苦しさを想像できた。

それは「自分は悪くない」と思い込もうとしていた心の姿勢に対する、最初の崩れでもあった。


再度Hさんに向き合う決意

ある程度冷却期間をおいてから、私は上司の同席を得てHさんとの面談を希望した。
一方的に弁明するつもりはなかった。むしろ、何が辛かったのかを素直に聞きたかった。

Hさんは少し戸惑いながらも、こう話してくれた。

「〇〇さんの言っていることは正論だと分かっていました。でも、いつも“できてない”って見られているようで、呼吸が浅くなるんです」

その言葉を聞いて、ようやく腑に落ちた。

私は“論理”で伝えていたが、Hさんは“感情”で受け取っていたのだ。
私は“全体像”で注意していたが、Hさんは“一言一句”に傷ついていたのだ。

だから私は、こう答えた。

「ごめんね。ちゃんと伝えたいと思っていたけど、伝え方に無神経だった。これからは、できたことにも目を向けて、言葉を選んで伝えていくようにするね」

Hさんは軽くうなずいていた。
和解というほど劇的な場面ではなかったけれど、“指導”が“対話”に変わった瞬間だったと思う。


言葉を変えれば、職場の空気も変わる

その後、私は指導方法を大きく見直した。
以下は、私が実際に取り入れた具体的な方法だ。

  • 1:ポジティブフィードバックを必ず入れる
     指摘の前に「良かった点」を一言でも添える。例:「昨日の対応、とても丁寧だったね。その上で…」
  • 2:業務ミスは“事実ベース”で伝える
     「こういうことが起きたよね。それについて確認したいんだけど…」という伝え方に変更。
  • 3:質問形式で気づきを促す
     「この場合、何が原因だったと思う?」と尋ねてから、一緒に振り返る。
  • 4:伝えるタイミングを調整する
     全体が慌ただしい時間帯ではなく、少し落ち着いた場面で静かに話す。

この4つだけでも、職場の雰囲気は大きく変わった。
「注意された」という感覚が薄れ、「学びとして受け取れた」という声が出てきた。


指導者に求められる“スキルのアップデート”

ここで気づいたのは、私自身が“古い指導法”をアップデートできていなかったという事実だ。

・上から目線で言ってしまう
・焦りや苛立ちが口調に出てしまう
・「自分の若いころは…」と比較してしまう

これらは意図せずとも、新人にとっては「圧」になり、信頼を失う要因となる。

一方で、今の時代には“共感ベース”のコミュニケーションが求められている。
正論より、対話。経験談より、対等な立場での共有。
それが、指導における“信頼関係のベース”になると実感した。


次のセクションでは、この経験を通じて見えてきた「上司や組織が果たすべき役割」や、
「もしあなたが同じ状況に直面したらどう対応すべきか」について、より実践的に深掘りしていきます。

「誤解されたくない」と思うほど、誤解は深まっていった

自分の“正しさ”にすがる危うさ

Hさんから「注意の仕方がきつい」「精神的につらい」と言われたあの日から、私は数日間、自分の中で整理がつかない感情を抱えていた。

確かに、厳しいことを言った自覚はある。でも、業務を滞りなく進めるために必要なことで、決して怒鳴ったり、叱責したりしたわけではない。
むしろ私は、「丁寧に伝えたはず」とすら思っていた。

でも、それは“私の基準”での話だったのだ。

「自分は正しいことを言った」と思えば思うほど、「なぜ通じなかったのか?」という疑問ばかりが大きくなり、Hさんに対する苛立ちも湧いてくる。
その感情をもってしまうことに対して、自己嫌悪もあった。

——あれは本当に“指導”だったのだろうか?
——ただの“正論押しつけ”になっていなかったか?

そんな問いが頭のなかをぐるぐると回る。

“伝えたこと”と“伝わったこと”のギャップは、こんなにも深いのかと痛感した瞬間だった。


Hさんとのすれ違いの本質は「安心感の欠如」だった

ある日の帰り道、ふと自分のメモ帳を見返していたら、
新人だった頃の自分が書いた「先輩に言われてショックだった言葉メモ」が出てきた。

  • 「まだ分かんないの?これ何度目?」
  • 「ちょっと常識なさすぎるんじゃない?」
  • 「自分で考えて動いてよ」

——これ、自分が今Hさんに言ってた言葉と、似てないか?
ぞっとした。

当時、私が感じたのは「怖い」「相談しづらい」「私はダメな人間なんだ」という自己否定だった。
そう、Hさんも、同じような“安心感の欠如”を感じていたのではないか。

それは“正しさ”とはまったく別の次元の話だった。

私は、相手の視点や心の状態に無頓着なまま、
「伝え方」ではなく「伝えた内容」にばかり意識を向けていたのだ。


自分の「無意識バイアス」に向き合うということ

その後、社内のオンライン研修で「アンコンシャス・バイアス(無意識の偏見)」について学ぶ機会があった。

  • 「このくらい分かるでしょ?」と思ってしまう認知
  • 「自分は怒っていないから問題ない」と思い込む態度
  • 「昔はもっと厳しかった」と過去基準を押しつける発想

こういった“無意識の当たり前”が、知らず知らずのうちに職場の空気を重くし、指導を受ける側の心を圧迫していく。

Hさんのことだけではなく、今までの新人たちに対しても、自分がどんな無意識バイアスを持っていたかを振り返った。

そして気づいたのは、「私は善意のつもりでも、相手がそう感じるとは限らない」という当たり前の事実だった。


社内における“指導の場づくり”を変えていく

私は一連の経験を経て、チーム内の指導体制にも働きかけを行った。

1:新人向けアンケートの実施

業務面だけでなく、「メンタル面の不安」や「質問しづらさ」についても自由に書ける匿名アンケートを実施。

これにより、表には出てこなかった“職場の空気”に関する意見や感情が少しずつ見えてきた。

2:フィードバック文化の導入

上司が部下にだけでなく、部下から上司にも「フィードバック」できる場をつくった。
これは心理的安全性の確保に役立ち、指導者側の自省にもつながった。

3:ロールプレイ研修の試験導入

「言い方によって受け取り方がどう変わるか」を学ぶロールプレイ研修を、小規模チーム単位で実施。
“気づかぬハラスメント”に対する理解が深まり、職場全体のコミュニケーションが少しずつ滑らかになっていった。


それでも、100%伝わることはない

Hさんとは、数ヶ月後にようやく「今の指導はすごく分かりやすかった」と言ってもらえる日が来た。
それでも私は、過去の失敗を忘れないようにしている。

なぜなら、どれだけ気をつけても、100%相手に正しく伝わることなんてないと知ってしまったからだ。

でも、それを怖がって黙ってしまうのではなく、
「どうすれば誤解されにくいか」
「どうすれば傷つけずに伝えられるか」
を考え続けることが、これからの“指導”には必要なのだと思う。


「叱る」より「支える」へ

私は今、「叱る人」ではなく「支える人」になりたいと思っている。

その方がチームの成長が早いし、何より働く一人ひとりが「ここにいていいんだ」と思える職場の空気になる。
そして、指導者である自分自身もまた、メンバーから支えられていることを実感できるようになる。

誰かを育てることは、自分を育て直すことでもある——
それは、Hさんとの一件が教えてくれた最大の教訓だった。

「伝えたつもり」では済まされない、指導者としての責任

「正論」が通用しない現実と向き合う

指導というのは、正しいことを言えば通じる——
そう思っていた頃の私は、まるで“伝えること”にしか意識が向いていなかった。

だが現実には、「正論」でさえも拒絶されることがある。

ある日、Hさんがミスを繰り返していた報告書のフォーマット。
私は時間を取ってマンツーマンで説明し、
「なぜその順番で入力すべきか」「なぜその文言が重要なのか」を丁寧に伝えた。

その日のうちに改善が見られ、「よかった」と思ったのも束の間。
数日後、また同じミスが繰り返されていた。

理由を聞くと、「言われた通りにやったけど、やっぱりしっくりこなかったから、前のやり方に戻した」とのこと。

私は内心、呆れた。

「言われた通りにやってダメなら相談すべきだろう」
「それが社会人の常識じゃないのか?」

でも、その“常識”は、自分が勝手に信じてきたルールだったと気づくのに、少し時間がかかった。


指導の目的は「納得」ではなく「定着」

指導者として、自分の役割は何か?

それは、“納得”させることでも、“理解”させることでもない。
ましてや、“言い負かす”ことでもない。

最終的な目的は、「業務として定着させること」であり、
言葉のやり取り以上に、「行動が変わる」ことがゴールなのだ。

そのために必要なのは、

  • 一度で伝わらないことを前提に構えること
  • 同じ説明を“伝え方を変えて”繰り返すこと
  • 「伝わっていないかもしれない」を受け入れること

つまり、“伝えたつもり”を手放す勇気が、指導者には不可欠なのだと知った。


一人では抱えない。「報連相」のあり方も見直した

Hさんとの関係は、少しずつ改善しつつも、どこか緊張感をはらんでいた。

私の伝え方に敏感に反応することもあれば、
逆に「放っておかれている」と感じる場面もあったらしく、チームリーダーとしての立ち位置に悩むことが多くなっていた。

そんなとき、上司が「報告はチームで共有して、指導内容も記録しておこう」と提案してくれた。

その日から、指導した内容・タイミング・相手の反応を簡潔に記録し、
他の教育係とも共有するようにした。

すると、それまで“私とHさんだけ”だった関係性が、
チームとしての支援構造に変わっていった。

「指導=個人間のやり取り」ではなく、
「指導=職場全体で支えるプロセス」になっていったのだ。


部署内で起きた「逆ギレ事件」の再来

ある日、別の新人スタッフが「○○さんに怒鳴られました」とチームチャットで投稿した。
当のAさんはまったく怒鳴っておらず、トーンをやや強めにしただけだったという。

そのやり取りを見ていたメンバーの一人が呟いた。

「もう、“怒鳴った”かどうかじゃないんだよね。“怒鳴られたと感じた”かどうかなんだよ」

まさにそれが、私がHさんとの間で体験した「ハラスメントと感じた側のリアル」だった。

誰かにとっては普通の指導も、
他の誰かにとっては「攻撃的」「人格否定」と受け取られる。

この“温度差”を埋めるには、

  • 周囲との情報共有
  • 指導プロセスの見える化
  • 「気になることは話していい」という空気作り

といった、“組織としての土台”が不可欠だ。


心をすり減らさない「距離感」の大切さ

指導に真面目に向き合おうとすればするほど、傷つくこともある。

  • 伝え方を反省しても、相手には響かない
  • 自分なりに努力しても、報われないと感じる
  • 相手のためを思ったのに、「怖い」と言われる

こんなことが続けば、誰だって心が折れる。
私も、もう二度と新人担当をやりたくないと思ったことがある。

でも、そこで気づいたのは、「相手の成長を“自分の責任”にしない」ことの大切さだった。

成長は本人のものであり、
指導者はあくまで“きっかけ”を与える立場だ。

そのために、適切な距離を取り、
相手に干渉しすぎず、自分も疲弊しない関わり方を選ぶようにしていった。


ハラスメントのグレーゾーンに立たされる人へ

パワハラ、マイクロアグレッション、無意識のバイアス——
私たちが気づかぬうちに加害者になり得るこの時代。

だからこそ、「伝える技術」や「感情の調整力」は、
職場における“専門スキル”としてもっと認識されるべきだと思う。

もし、今、誰かとの関係に悩んでいるなら、
まずは「自分の正しさ」から少し離れてみてほしい。

「なぜ伝わらない?」の前に、
「どうしたら伝えやすい空気になる?」を考えることで、
あなたの指導力はきっと変わる。

上司から部下へ。伝え方より支え方を整える組織へ

パワハラと言われないために「何を変えるべきか」

「伝えたのに伝わらなかった」
「正しい指導が“ハラスメント”と誤解された」

こうした状況を、個人の反省や努力だけで解決するのは難しい。
むしろ、現場に求められるのは“個人任せ”ではなく、指導の設計そのものを見直す仕組みづくりである。

たとえば、以下のような対策が現場で機能しやすい。

項目内容
指導履歴の記録指導日時・内容・相手の反応を簡単に残す(ExcelやNotion等)
指導方針の可視化チーム内で「共通の言い回し」や「対応の順序」を統一
感情のトーンガイド「強めに言うときの目安」「静かに伝えるべき事項」をあらかじめ定義
上司・第三者との連携一対一ではなく、観察・フォロー可能な第三者を含むようにする
定期的なフォロー面談フィードバックを受ける場を新人にも指導者にも提供する

これらを実施すれば、「感情的に言った/言われた」といった曖昧な指摘ではなく、
行動ベースでの改善と対話ができるようになる。


「パワハラをしない」より「パワハラと受け取られない」環境づくり

現代の職場で求められるのは、「意図がなければOK」という時代からの脱却である。
つまり、“加害の意図”がなくても、受け手が不快であれば、それはハラスメントになる。

この考え方に基づき、以下のような点を意識して設計するとよい。

1. 主観のズレを埋める視点

  • 「自分は怒っていない」は通用しない
  • 「相手がどう感じたか」を都度確認する姿勢が大切

2. “口頭注意”より“構造化された対話”

  • 「改善してね」だけでなく、「なにを」「なぜ」「どうやって」を文書化
  • 対話型マネジメントの導入(チャットログの活用など)

3. 「指導者育成」が人材開発の要になる

  • 新人研修だけでなく、「中堅への指導法研修」を制度化
  • ハラスメント事例をケーススタディ化し、予防学習へ活用

「気づく」「認める」「共有する」のサイクルを

個人レベルでできることもある。

  • 自分が使っている言葉に、攻撃的なニュアンスが含まれていないか
  • 相手の立場や感受性を無視したコミュニケーションになっていないか
  • 気づいた違和感を「なかったこと」にせず、小さく共有していくか

特に最後の「共有」こそ、ハラスメントを未然に防ぐ最大の防波堤である。

「気のせいかも」と思う程度の違和感ほど、最初に声をあげづらい。
だからこそ、チームで“違和感を歓迎する土壌”を育てる必要がある。


指導とハラスメントの境界線を曖昧にしないために

「正しさ」だけでは、人は動かない。
「善意」だけでも、人を傷つけることがある。

だからこそ、私たちは**“伝える側の責任”を持ちながらも、“相手が受け取りやすい環境”を整える努力**が求められる。

それは決して、「言いたいことを言えなくなる」ことではない。

むしろ、「どうすればちゃんと伝わるのか」を工夫し、
「何をサポートすれば定着するか」を考えることこそが、真の指導力であり、
これからの組織に必要なコミュニケーション文化なのだと実感している。


よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

元Webプログラマー。現在は作家として活動しています。
らくがき倶楽部では「らくがきネキ」として企画・構成、ライターとして執筆活動、ディレクション業務を担当しています。

目次