残クレアルファードで見栄っ張り扱い。でも後悔してない話

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残クレでアルファードに乗ったら、なぜか見栄っ張り扱いされた話

SNSでとある投稿を見かけた。
《残クレでアルファード乗ってるやつ、ほんとダサい。》
《見栄張って高級車乗って、結局払えなくなって返却だろ?》

……たぶん、私のことだ。

いや、実際に面識がある人ではない。けど、たしかに私は「残クレ」で「アルファード」に乗っている。しかも買ってまだ半年。まるで自分に向けられたかのようなその言葉に、スマホを持つ手が止まった。

たしかに、ローンだ。しかも残価設定型。
頭金もそれほど入れていないし、正直「ギリギリ払える」レベルの月額設定だったのは否定しない。

でも、だからって「見栄張ってる」って言われるのは、なんか違くない?


アルファードに乗った理由は「かっこつけたい」からじゃない

もともと私の車選びは、完全に実用重視だった。

  • 子どもがいる
  • 荷物も多い
  • 遠出することも増えた
  • 妻の実家が車移動圏で、長距離になる

だからスライドドア付きのミニバンはマストで、どうせなら「ストレスを感じない車」にしようと思った。

そのときディーラーで案内されたのが「残クレで月々6万円台」のアルファードだった。試乗した瞬間、静粛性も乗り心地も今まで乗ってきた車とは別次元だった。助手席の妻も「これは…めっちゃ楽」とつぶやいた。

正直、迷いはあった。
金額もスペックも「ちょっと背伸びしてるな」と自分でも思った。

でも、「この車で家族とドライブする未来」を想像したら、
その“背伸び”も、ただの無謀とは思えなかった。


ネットの声は、なぜこんなに冷たいのか

「残クレ」ってだけで「貧乏人のくせに」とか、
「どうせ維持できないんだから」とか、
まるで“レンタルでいいカッコしようとしてるやつ”扱いされる。

でも私は、「残クレで買うのが一番現実的だ」と思った。

支払いをある程度コントロールできる。
数年後に買い換えるなら、最終支払いをしない選択肢もある。
リセールの高いアルファードだからこそ、残価設定が使いやすい。

なのに、なんでそれを“悪い選択肢”みたいに言われなきゃいけないんだろう。


そんなモヤモヤを抱えつつ、私はふと、SNSの画面を閉じて、
駐車場に止まっているアルファードを見た。

「この車にしてよかった」と思える瞬間は、たしかにある。
それだけで、十分なんじゃないか――そんな気もしてきた。

「残クレ=見栄じゃない」って、本気で言える理由がある

私が「残クレ」を選んだ理由は、ただひとつ。
“今の暮らしに合った車を、無理なく使いたかったから”

これだけなんです。


ローンでもリースでもなく「残クレ」という選択肢

車の買い方って、意外といろいろある。
現金一括、通常ローン、リース、そして残価設定ローン(いわゆる残クレ)。

この中で、いまの私のライフスタイルに一番合っていたのが「残クレ」だった。

  • 毎月の支払いが抑えられる
  • 数年後に乗り換えや返却がしやすい
  • 一定期間だけ“良い車”を使う感覚に近い

たとえるなら、**「スマホの機種変更」**みたいな感じ。
ずっと使い続けるより、一定期間で買い替える前提なら、残クレの方が効率的だし、柔軟性がある。


「いつか乗りたい」じゃなくて、「いま必要だから選んだ」

アルファードにしたのは、ただの憧れとか見栄じゃない。

  • 家族の送迎が増えた
  • 子どもが車の中で寝てしまうことも多い
  • 妻も運転するようになって、乗りやすさと安全性が優先になった
  • 何より、毎日の生活が快適になる

必要に迫られて、いろいろな車を比較した結果、
「このクラスの車じゃないとダメだ」と思った。

でも、それを現金で一括購入なんて到底無理だったし、
通常ローンでは月々の負担が重すぎた。

それを「ちょうどよくバランスをとってくれた」のが、残クレだった。


便利で柔軟、計画的。むしろ合理的な選択

今のカーライフって、ちょっと前の「持ち物=資産」って感覚と変わってきてると思う。

  • 車も“所有”から“利用”の時代へ
  • 買った車を10年乗るのが正解じゃない人も増えてきた
  • 生活スタイルや環境に応じて、車も変えていくほうが自然

私は3年後、また次の車にするかもしれない。
そのとき、返却でも買い取りでも選べるって、正直ありがたい。
決して「逃げ道」じゃなくて、「未来への余白」だ。


「無理してる」と言われたこともある。
でも、実際は「無理しないために選んだ」のが残クレだった。

それに、支払いの計画も立てたし、維持費も見直して家計にちゃんと組み込んだ。

私にとってこれは、背伸びでも見栄でもなくて、
自分の“選択眼”を信じて選んだ、生活の一部だと思っている。

アルファードを選んだのは「背伸び」じゃなく「必要」だったから

たしかに、アルファードは高級車に見える。
押し出し感もあるし、パッと見で「いい車だな」と言われることも多い。

でも、私にとってのアルファードは、**“家族のための現実的な選択肢”**だった。


車内で寝てしまう子どもを、起こさずに済むミニバンが欲しかった

子どもって、車に乗るとすぐ寝る。

でも、以前乗ってたセダンは後部座席が狭くて、
寝たまま降ろそうとすると、必ず起きてグズる。

それが、アルファードに変えてからは、
「そのまま抱き上げても起きない」くらい、スペースも動線も余裕がある。

スライドドアも自動だし、開口部も広い。
雨の日でも荷物を載せやすいし、なにより子どもが「車に乗るのが好きになった」


妻が「これなら運転できる」と言った瞬間に、もう決まっていた

大きな車は運転が怖いと言っていた妻が、
アルファードに試乗した後にこう言った。

「これなら意外といけるかも。視界も広いし、ハンドル軽いし」

そのひと言で、私は決心がついた。

運転手がひとりじゃないって、思ってる以上に助かる。
万が一の体調不良や、帰省時の長距離運転でも、交代できる安心感は大きい。


仕事にも使うし、プライベートも充実する

私は営業職で、時には得意先への訪問もある。

アルファードで訪れると、「すごい車ですね」と言われることもあるけど、
その一方で、「きちんとした人」という印象にもつながっている気がする。

もちろん、車種で仕事の成果が変わるわけじゃない。
でも、“身なり”と同じように、“車”も第一印象の一部になるのは間違いない。

そして週末には家族と温泉やレジャーへ。
以前よりも、行動範囲がぐっと広がった。


「ただの移動手段」から「暮らしの一部」へ

車って、ただの“モノ”じゃない。
それに乗って、どこへ行くか。
誰と、どんな時間を過ごすか。

アルファードにしてから、そういう“暮らしの質”が上がった実感がある。

  • 疲れにくい
  • 乗り降りしやすい
  • 荷物がたくさん積める
  • 子どもが車内で機嫌よく過ごす
  • 自分自身も、運転が楽しくなった

これって、「贅沢」ではなくて、**“安心を買った”**のだと思っている。


もし、これが「見栄」だと言うなら、
私はたぶん、**自信を持って“見栄を張った”**と言うだろう。

でも、実際は違う。

これは、「家族と自分のためにちゃんと考えた結果」だった。
背伸びじゃない、“必要だから選んだ”という話。

「残クレでアルファードとかダサい」って誰が決めたんだろう?

ネットを見ていると、時々こういう声にぶつかる。

「どうせローンでしょ?」「背伸びしてもバレバレ」「身の丈に合ってない」

なんでこんなにも、「人の車の買い方」に口を出したがるんだろう?


「一括じゃないと偉くない」って、謎の価値観

不思議なのは、こういう批判って、
なぜか“現金一括で買うこと”を絶対的な正義のように語ること。

でも、実際には多くの人がローンを使ってるし、
残クレだって、立派な「選択肢のひとつ」。

「払える金があるなら現金一括にするでしょ」と言う人もいるけれど、
だったら、スマホや家電もローンや分割にしてる人たちは、どうなんだろう?

車だって、スマホと同じように“使って価値を生む道具”だと考えたら、
無理なく支払える形で使うのは、むしろ合理的なはずだ。


見栄じゃなくて「快適さ」や「安心感」を選んだだけ

アルファードに乗ってると、駐車場でたまにじろっと見られる。

「高そうな車だな…」
「この人、こんな車乗れるのか?」
そんな視線を勝手に感じてしまうときもある。

でも、実際の中身はただの地方在住の会社員だし、
身の丈以上のことをしてるつもりは全然ない。

ただ、家族が快適に過ごせる車が欲しかった
それだけ。


マウンティングって、実は「誰かの幸せがうらやましい」だけかもしれない

人の車のことをとやかく言う人って、
案外、自分自身が満たされていないだけなんじゃないかと思う。

  • ほんとは自分も大きな車に乗ってみたい
  • でも手が届かないから、それを選んだ人をバカにすることで自尊心を保ってる
  • あるいは、「自分は身の丈に合った生活をしてる」と強調したいだけ

そんな気がしてならない。

そして何より、**「人の選択を叩いてる時点で、たぶんそれは“幸せじゃない”証拠」**なんじゃないかとも思う。


私は、アルファードに乗ってから、
運転する時間が楽しくなったし、
家族の笑顔も増えた。

それだけで、もう十分。
**「人にどう見られるか」よりも、「自分たちがどう過ごせるか」**のほうが、よっぽど大事。

実際、アルファードに乗って感じた“プライスレスな価値”

SNSで何を言われても、
正直、この車にして本当に良かったと思っている。

なぜなら、「買ってよかった」と思える瞬間が、すでにいくつもあるから。


車内で、家族がリラックスしている光景を見たとき

週末、少し遠出をした日のこと。
片道2時間くらいのドライブだったけど、
後部座席の妻と子どもが、ふわっとした笑顔で並んで座っているのがルームミラー越しに見えた。

「この車、揺れないね」
「空間が広いから、圧迫感がない」
「前の車より、ずっとラク」

そのひとつひとつの言葉が、
ローンの毎月の引き落とし額を軽く超えて、私の中で“価値”に変わっていった。


いつもより長く寝てくれた子どもに、ちょっと感動した

渋滞で帰宅が遅くなったある日。
子どもは車内でスヤスヤと眠ったまま。
以前なら、チャイルドシートの角度で寝づらそうにしていたのに、
アルファードのフラットな設計と静粛性のおかげか、到着まで起きずに熟睡していた。

「車の違いって、こういうところに出るんだな」と、
その日ばかりはしみじみ思った。


運転が「疲れる時間」じゃなくなった

ハンドルは軽いし、アイポイントも高いから視界も広い。
安全装備も充実しているし、運転支援機能もついている。

だから、単純に「運転が楽」

以前なら、ちょっと長距離を運転するだけでクタクタだったけど、
アルファードにしてからは「着いたけど、もう少し運転してたいな」と思うことさえある。


思い出が増えるスピードが、変わった気がする

「ちょっと温泉でも行ってみようか」
「今度、○○家と一緒にキャンプしようよ」
「帰省、車で行けそうじゃない?」

そんなふうに、車があるからこそ選べる選択肢が、ぐっと増えた。

そして実際に、家族や友人たちと一緒に遠出をする回数も、以前より増えた。

つまり、車がきっかけで、思い出が増えている。

これって、冷静に考えるとすごいことだ。
高い買い物だったかもしれないけど、
それ以上の「価値」がもう、ちゃんと返ってきてる気がする。


高級車かどうかじゃない。「どう使うか」の方が大事

周囲から見てどう思われるかは、もういい。

私にとって、アルファードは「背伸び」でも「見栄」でもない。
**家族と過ごす時間を、より快適に、より豊かにするための“道具”**だ。

そう思える瞬間が、日々ちゃんとある。

それがきっと、私が「後悔してない」と断言できる理由だと思う。

“見栄”じゃなく“暮らし”のために選んだ車だから、これでいい

正直、アルファードに乗り始めてから、
ネットの声や周囲の視線が気にならなかったと言えばウソになる。

「残クレでしょ?」
「無理してるんじゃないの?」
「分不相応だよね」

そう言われたことも、そう思われてるだろうと感じた瞬間もあった。


でも、見栄で選んでたら、ここまで満足してないと思う

私は“かっこよさ”がほしくてこの車を選んだわけじゃない。

ただ、家族の生活を、ちょっとでも快適にしたかっただけ。
車内での過ごしやすさ、移動の安心感、子どもの笑顔。
そういう日々の小さな幸せを積み重ねるために選んだ一台だった。

だからこそ、支払いに不安がないわけじゃない今も、一度も後悔してない。


支払いが終わる前に、きっと思い出のほうが先に満タンになる

残クレの仕組みには、たしかに注意点もある。
再契約や残価精算、走行距離制限なんかもあるし、すべての人に合うとは限らない。

でも私の場合は、そのリスクを理解した上で選んだし、
それ以上に得たものの方が圧倒的に多かった。

支払いが終わる頃にはきっと、
この車で過ごした家族の思い出の方が、先に“満タン”になっていると思う。


「この選択でよかった」と言える暮らしを、自分でつくっていく

人がどう言おうと、最終的にその車に乗って生活するのは自分。

だから、自分に合っていて、自分の暮らしを豊かにする選択なら、
それがきっと、「正解」なんだと思う。

私にとって、アルファードはまさにそういう選択だった。


車の買い方も、車種の選び方も、みんな違っていい。
「どう思われるか」よりも「どう生きたいか」で選んだほうが、
きっと心はずっと自由だ。


私はこれからも、アルファードと家族との日々を、少しずつ積み重ねていく。

それは、誰かの評価を得るためじゃなくて――
自分たちの幸せを、ちゃんと運んでくれる相棒と一緒に。

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この記事を書いた人

元Webプログラマー。現在は作家として活動しています。
らくがき倶楽部では「らくがきネキ」として企画・構成、ライターとして執筆活動、ディレクション業務を担当しています。

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