車を持つということは、ちょっとした自由を手に入れることでもある。
車内がサウナになるなんて、誰が教えてくれた?
ぼくの通勤ルートは、朝のうちに涼しい影がさす細い道を抜け、国道をすり抜けて会社へ向かうという、車派のぼくにとってはまあまあ快適なルートだった。——6月までは。
梅雨が明けた7月上旬、会社に行こうといつものようにマンションの立体駐車場を開けた瞬間、むわぁっとした空気が顔をなぐった。いや、“顔”っていうより、“魂”まで蒸された感じ。なんというか、サウナのドア開けたときのあの感じにすごく似てた。
ぼくの車はそこまで古くはない。ハイブリッド車で、シートも合皮、ナビもついててバックモニターもある、見た目だけは“できる男”っぽい雰囲気を出してくれる。だけど、あの朝、車に入った瞬間「これ、動かすのムリじゃね?」っていうレベルの熱気で包まれていた。
ハンドルはまるで鉄板。手を添えたら「あちっ!」と反射的に引っ込めてしまうほど。シートに座っても、背中からじゅわ〜って汗が出てきて、もうエンジンどころじゃない。結局、日除けも置いてなかったし、エアコンをつける前にドア全開で数分放置しなきゃいけなかった。
「いや、夏ってこんなだっけ……?」って独りごちたけど、よく考えたら、去年の夏は在宅勤務が多くて、朝から車を使うことなんてほとんどなかった。今年が初の“リアル通勤・夏・車”というコンボだったのだ。
なめてた、夏の車。ガチで熱すぎる
そこからというもの、出勤前はサウナ修行のような時間との戦いが始まった。車に乗る前に:
- ドア全開にして換気
- ハンドルにタオルを巻く
- エアコンを「MAX」にして送風モード
この儀式をしないと運転できない。しかも、最初の5分はエアコンがぬるい風を撒き散らすので、いよいよもって「ぼく何のために運転してるんだろう」という謎の無気力に襲われる。
しかも会社に着く頃には、Yシャツが背中だけ微妙に濡れてて、エアコンの効いたオフィスで乾かすまでの時間が地味につらい。会議前に「汗くさい人」と思われたくないから、ファブリーズのミニスプレーを車に常備しはじめた。……そこまでして出勤してるの、ぼく、えらい。
周囲の反応で気づいた、「ぼくだけじゃない」感
ある日、会社の同僚(車通勤組)に「最近、車やばくない?」って聞いてみたら、予想以上にみんな共感してくれた。
「わかる!ハンドル握れないよね!」
「シートベルトの金具が肌に当たって火傷しかけた」
「エアコンが効き出すまで5分、汗だくで座ってる」
みんなそれぞれの“カーサウナあるある”を披露しはじめて、ぼくだけじゃなかったことにちょっとホッとした。そしてみんなの対策法を聞いて、いよいよ「ちゃんと対策グッズ買おう」と心に決めたのだった。
「とりあえずタオル」を卒業する日がきた
職場の共感トークを経て、ぼくはようやく重い腰を上げることにした。
──そう、本気で「車内の暑さ対策グッズ」を導入するっていうやつ。
これまでは「まあタオルかけとけばいいでしょ」とか、「早くエアコン回しとけばすぐ冷えるし」みたいな、“なんとなく”のごまかしで過ごしてきた。でもあの日、助手席に乗った後輩に「あれ?先輩って汗っかきっすか?」って無邪気に聞かれて、何かがプチっと切れた。
ちがうんだよ、汗っかきなんじゃなくて、車が灼熱なんだよ。
とはいえ、カー用品店に行っても、ネットで見ても、対策グッズって種類が多すぎる。日除けひとつとっても、フロントガラス用・サイドウィンドウ用・後部座席用とバリエーションが豊富で、さらに“ジャバラ式”とか“折り畳み式”とか、構造もいろいろ。
「暑さ対策グッズ 車」で検索して、出てきたランキングを片っ端から見て回り、「とりあえず間違いなさそうなやつ」を2〜3個注文した。
あと、暑さ対策と並行して「車内のニオイ」問題も地味に気になっていたので、芳香剤の人気商品も一緒にカートに放り込んだ。
——その日のぼくは、Amazonで10,000円近く散財した。
車内対策で買ったものたち
- サンシェード(断熱アルミ+UVカット仕様)
- ハンドルカバー(断熱素材)
- 首かけファン(万一に備えて)
- 汗拭きシート(常備)
- 芳香剤(シトラス系)
届いたグッズを見ながら、ぼくは「やっぱ文明の力ってすごいな…」としみじみ思った。
なぜ去年までこれを使っていなかったのか。なぜ毎朝、汗だくで“修行”していたのか。もはや反省しかない。
初の“フル装備通勤”は快適だった……けど
翌朝、早速サンシェードをセッティングし、ハンドルにもカバーを装着して出勤に備えた。
通勤時間の約20分前、わざわざ1階に降りて、事前に車内を開けて換気。サンシェードのおかげで、明らかに“もわっ”と感が和らいでいた。
「これはいけるぞ……!」
期待を胸にエンジンをかけ、ハンドルに手を添える。
——冷たくはないけど、「あちっ!」ってなるレベルではない。普通に握れる。
クーラーもすぐ効いた。シートベルトも熱くない。なにこれ、超快適じゃん。
そして、ふとバックミラー越しに映った自分の顔が、妙に満足げだったことに気づく。
……ちょっと照れたけど、**「自分で自分の快適さをちゃんと守れた感」**って、地味にうれしいやつだった。
ただし、快適すぎて油断しすぎた
快適な車内に満足したぼくは、音楽をかけて、窓を少し開けて、気持ちよ〜く出発した。
が、出発してすぐ、前方の信号でふと気づく。
「ん?これ、芳香剤……匂い、強すぎる?」
そう、ぼくが選んだのは“シトラス×ミント”という、レビュー評価4.5の人気商品だったが、どうやら香りが予想以上にパンチ力強めだった。
窓を開けているはずなのに、むしろ“車内がグミの袋をかじったような香り”で満たされていた。
このとき、ぼくはまだ知らなかった。この香り問題が次なる事件の引き金になることを──
香り対策のつもりが「香りテロ」になっていた
それは週明けの朝だった。
たまたまその日、出社がかぶった営業部の同期・ナベくんを途中でピックアップすることになった。彼も車通勤組だったけど、その日は車検中で「助かったわ〜」と喜んで助手席に乗り込んできた。
「お、なんかええ香りするやん。……え、これ車内の匂い?」
「うん、芳香剤変えてみた。どう?ちょっと柑橘系強め?」
「いや、めっちゃグミ。完全に駄菓子屋のアメコーナーやな」
ぼくが選んだ“シトラス×ミント”は、たしかに「すっきり爽やか系」とレビューに書かれていた。けど、炎天下で熱気に加熱された芳香剤は、予想を遥かに超える“攻撃力”を持っていた。
ナベくん、最初は笑ってたけど、信号で止まる頃にはちょっと黙り込んでいた。
「……あれ?もしかして酔ってる?」
「うん、なんか若干キてる。コンビニ寄っていい?」
そのままコンビニで水を買いに走ったナベくんが戻ってきて、冗談まじりにこう言った。
「先輩、芳香剤3つ入れてるでしょ?」
「え、1個しか入れてないけど……」
「マジか。てことはこの破壊力がデフォルトなのか……」
そのとき気づいた。“香り”って、快適と不快のラインがめちゃくちゃ近い。
車内快適グッズの「やりすぎ注意」ゾーン
そこからは反省して、芳香剤をダッシュボードからいったん外し、香り控えめの吊り下げタイプに変更した。
……が、家族を乗せる日には「このにおい、ちょっとツンってくるね」と言われたり、営業先の先輩には「お前の車、なんか香水系だな」と微妙にツッコまれたり。
そこでやっと理解した。
“香り”って、自己満を越えると地雷になる。
とくに車という密室では、「好き嫌いが分かれる匂い」は、無意識に人を疲れさせてしまうという事実。
その日からぼくは「香りは自分だけの快適じゃない」というマイルールを設けて、香り対策は極力ナチュラルに、ミントや炭系の無臭系へと切り替えることにした。
そして訪れた「ついにやらかした」日
ある午後、真夏の外回りを終えて帰社する途中。
空がにわかに曇り、通り雨がザーッと降ったあとにまた一気に晴れた日だった。
気温は37度。
湿気は最高潮。
窓を開けると逆にぬるい風が流れ込んでくる。
そんな中、ぼくは油断していた。
芳香剤をダッシュボードに戻していたことを。
運転席に戻って車を開けた瞬間。
「うっ……」と頭を抱えたくなるような、あの“柑橘ミント爆弾”が炸裂した。
たった一個の芳香剤が、湿気と熱気で増幅されて、車内をケミカル地獄へと変えていた。
このあと、ぼくの身にちょっとした“とんでもない展開”が起こる。
まさかこんなことであの人を怒らせるとは──
デートの前に“車内の香り”で機嫌を損ねるとは思わなかった
その“事件”は、週末の昼下がりに起きた。
久しぶりのデートだった。
相手は、ここ数カ月ちょくちょくやり取りしていた女性、ミホさん。
しっかり者で落ち着いていて、どちらかというと香りや空間の雰囲気にこだわるタイプ。
「清潔感」や「匂い」に敏感そうな印象があった。
待ち合わせは駅前。
「暑いから涼しい車内で待ってていいよ」と事前に伝えていたぼくは、
例の芳香剤(柑橘ミント系)を、前日の夜に“ほんのり香る程度”と信じて再設置していた。
……それが、まさかの裏目に出るなんて思いもしなかった。
ドアを開けた瞬間、漂ったのは「爽やか」ではなく「ケミカル爆弾」
「こんにちは〜」と笑顔で乗り込んできたミホさん。
エアコンは効いてる。シートも熱くない。
でも次の瞬間、彼女の顔が一瞬で固まった。
「……ん?この匂い、なにか焚いてる?」
ぼくは焦った。
「え、あ、芳香剤……シトラス系のやつ……ちょっと強かった?」
ミホさんはちょっと苦笑いを浮かべたあと、
「うーん、ごめんね、ちょっと頭痛くなりそうかも。窓、ちょっと開けてもいい?」
冷や汗がにじんだ。
エアコンをつけながら窓を開けるという“矛盾の快適化”を実行することになり、
車内の空気は少しずつ入れ替わっていったけれど、**なんとも言えない“残念な空気感”**だけが残っていた。
その後のドライブが気まずくないはずもなく
目的地は郊外のショッピングモールだった。
車内での会話は、お互いに気を遣いすぎてちょっとぎこちない。
ミホさんは悪くない。
悪いのは、完全に……ぼくだ。
暑さ対策はしていた。
快適装備も揃えていた。
でも、それを人と共有するときの“配慮”が、足りなかった。
自分ひとりが満足するだけじゃダメなんだ。
“誰かを乗せる車”って、相手の感性にも寄り添わないといけないんだなって、
しみじみ思い知った。
けれど、そんな気まずさを救ってくれたのは
買い物を終えて、アイスコーヒー片手に並んで歩いていたとき。
ふとミホさんが笑いながらこう言った。
「でも、いろいろ準備してたのは伝わったよ。芳香剤の香りも……気合だったんだよね?」
ぼくはうなずくしかなかった。
そして、「次は香り系じゃなくて、除湿とか静音グッズにするよ」と答えると、
彼女は「そのほうが私向きかもね」とやわらかく笑った。
完全に元通りとはいかなかったけど、
ちゃんと伝わっていたことに、ちょっと救われた気がした。
快適さの追求が「空間オタク化」につながった件について
ミホさんとの出来事を機に、「誰かと共有する空間としての車内」を意識し始めたぼくは、
次なる対策を練り始めた。
──そう、**“香り”の次は、“空気感と音”**だ。
車内って、目に見えない“居心地”が意外と大きなウエイトを占めてる。
匂い・温度・湿度・静けさ・響き方。
音楽が心地いいか、風の流れが心地いいか。
「そこに長くいたい」と思える“微気候”をつくれるかどうかだ。
そう気づいたぼくは、今度こそ慎重にいろいろ導入していった。
新たに導入した「快適空間グッズたち」
- サーキュレーター内蔵の後付けファン(USB充電式)
- シートクッション(蒸れ防止/腰痛対策)
- 静音マット(タイヤ音や振動を和らげる)
- 天井吊り下げの小型アロマディフューザー(無臭 or 極微香)
- 空気清浄機能付きドリンクホルダー(ガチすぎて笑えるやつ)
もはや完全に“マイカー=可変式マイルーム”みたいな感じになっていった。
ぼくの中では「カーシェアの空間でもここまでできる」という小さなチャレンジだったけど、
気づけば**“快適さの最適化”という迷路にどっぷりハマっていた**。
「あれ、イッチくん……ここ、秘密基地?」と言われた日
次にミホさんを乗せたとき。
以前のケミカル爆撃は影をひそめ、代わりに落ち着いた空気清浄機が“ブーン……”と静かに働いていた。
ミホさんは乗るなり、少しきょとんとしたあと、こう言った。
「前よりずっと快適。でも……なんかすごいね。進化しすぎてない?笑」
ぼくが「いや、前の反省があってさ……」と照れながら言うと、彼女は笑ってこう返してきた。
「なんか、こういうのってちょっとかわいいね。“整えたい欲”ってわかる」
たしかに、空間を整えたいという気持ちって、ちょっとした“趣味”にも近い。
でもこの時、自分のなかで**“車はただの移動手段じゃない”という感覚**がはっきり芽生えた。
ただし、油断は禁物だった
それから数日後。
いつものように快適カーライフを楽しんでいたある日、会社の同僚・コバくんを乗せて出張先へ向かう途中、彼がひと言。
「イッチ先輩……この車、レンタカーっすよね?」
「うん、カーシェアのやつ」
「マジっすか。もうなんか、自分の部屋じゃないですか」
なんというか……褒め言葉なのか、警鐘なのか、受け取り方にちょっと悩んだ。
でも、たしかにあの日、ぼくはシートの上に自分用のクッションを敷き、
ドリンクホルダーに自前のコーヒーを差し、アロマがふんわり香る空間に“まるで自宅のように”なじんでいた。
快適すぎる空間は、時に人を“そこに居座らせる”。
そう、あまりに快適すぎて、降りたくなくなるという新たな課題も生まれていたのだった──
車内の温度も、心の温度も、ちょっとずつ整えていけばいい
夏のカーライフは、正直しんどい。
ハンドルは熱いし、座席は焼けるし、匂いはこもるし、空気はもわっとするし。
それでも、ひとつずつ対策を試していく中で、**「整える楽しさ」**を知った。
最初は、ただ乗れればよかった。
だけど、いつのまにか「快適にしたい」「誰かを乗せても大丈夫な空間にしたい」と思うようになった。
その過程で気づいたのは、“工夫すること自体が、自分への優しさ”だということ。
ぼくは、あの“サウナ車内”に教えてもらった
何も準備せず、ただ暑さに文句を言っていた自分。
芳香剤で失敗し、同乗者を酔わせてしまった自分。
空気清浄機を持ち込んで「やりすぎか?」と不安になった自分。
どれも「やっちまったなあ」と笑える思い出になった。
でも、あの日々があったからこそ、今は“ちょうどいい空間”をつくれるようになった。
誰かに「快適だね」と言ってもらえる喜びが、そこにはある。
車は、ただの移動手段じゃない
ぼくにとって車は、「自分を整える場所」になっている。
そして、ときには「相手を気づかう試験場」にもなる。
季節はこれから秋、そして冬へと移っていく。
また違った悩みや対策が必要になるだろう。
でも大丈夫。もう、暑さにも寒さにも、ちょっとは強くなれた気がするから。
次に誰かを乗せたとき、
「あ、この車、なんかいいね」と言ってもらえたら、
そのときこそ、夏のサウナ修行は報われたと思えるだろう。