副業ブログで全然稼げなかったけど1記事だけ突然バズって収益化できた話

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ブログに夢見て始めたけど、全然稼げなかった日々

「副業ブログで月5万円」――。
そんな甘い夢に魅せられて、私はブログを始めた。

会社の仕事が終わってから深夜まで、
眠い目をこすりながら記事を書いて、アイキャッチを作って、SEOも調べて、SNSでポストもして。
それなりに時間も手間もかけて頑張っていた。
にもかかわらず、アナリティクスに表示される数字は、悲しいほど現実的だった。


誰も来ない、読まれない、売れない。

最初は「そんなもんだろう」と思っていたけど、
2ヶ月が過ぎ、3ヶ月が過ぎ、半年経ってもほとんどアクセスは増えず、収益もほぼゼロ。
せいぜい自己クリックを除いたアドセンス収益が「1円」とか「5円」とか。
ときには“未確定”のまま消えていく数字に心が折れそうになった。

ブログ界隈ではよく「最初の半年は耐えろ」「記事数が増えたら伸びる」と言われるけれど、
本当にそうなの?と疑いたくなる毎日だった。


収益化を夢見ていたけど、現実はまるで“趣味ブログ”

当時の私は、収益化を意識して「稼げるジャンル」に挑戦していた。

  • クレカ
  • VOD
  • 転職
  • 筋トレ

…いわゆる単価が高いテーマたちだ。

でも、「実体験」がないから中身が薄くなり、
「競合が強すぎて検索順位が上がらない」
「そもそも誰が書いたかわからないブログに信用がない」
そんな基本的な問題にずっと苦しめられていた。

記事数は増えても、何ひとつ“当たらない”。
どれもこれもアクセス0~5のまま、時が過ぎていく。


そんな中、ふと書いた「完全に雑記な1記事」

ある日、会社の同僚との雑談で話題になった、ある“日常あるあるネタ”があった。

「これ、ブログに書いてもいいかな?」

そんな軽いノリで、特にSEOを意識せず、構成も雑なまま投稿した記事。
タイトルもなんだか長くて、焦点もぼんやりしてる。
しかもジャンルは完全に雑記で、マネタイズの仕組みも入れていなかった。

ただ、書いているときはめちゃくちゃ楽しかった。

「こういうのって、誰かに伝えたくなるよね」
「あるある!って言ってもらえたら嬉しいな」

それだけを原動力にして、深夜2時に投稿ボタンを押した。


翌朝、スマホがやたらと熱かった

いつも通り目覚ましのスヌーズで起きた朝。
布団の中でスマホを開くと、通知がやたらと来ている。

「え?」

Twitter(現X)の通知、アナリティクスのリアルタイム、アドセンスの収益。
すべての数字が“いつも”と違った。

普段はアクセス1〜2が常連だった私のブログに、
リアルタイムで「89人」がいた。


「なにが起きたの?」

最初はスパムかbotかと思った。
でも、アクセス元を見ると、SNS、LINE NEWS、Google Discover…複数から入っている。
拡散された?誰かが紹介してくれた?

わからないまま、ただただ画面を凝視していた。
ページが更新されるたび、カウンターが跳ね上がっていく。


「売れないブログ」に、まさかのチャンス到来

その“あの1記事”が火種になって、
私のブログに“本当に人が来た”。

何も売っていない記事だったのに、そこから回遊して、
過去の記事も読んでもらえて、少しずつ収益が動き始めた。

このとき、私は知ることになる。

「人は、検索だけじゃなく“共感”でもブログを読む」
「誰かの感情に触れることができれば、伝わる」
「それがたとえ、雑記でも、未完成でも」

ということを――。

思わぬバズの裏にあった“共感のスイッチ”

あの夜、ふと書いた記事は、日常のちょっとした不満をテーマにしていた。

「最近のレジ袋の薄さが心配すぎる件」
…そんなタイトルだった気がする。

どう見ても収益化とは無縁な内容。
でも、その記事には、自分でも気づいていなかった“武器”が眠っていた。


わかりみが深い、ってやつだった

記事では、レジ袋がやたら破けるとか、二重にされると逆に不安になるとか、
地味すぎるけど、みんなが一度は思ったことある“あるある”を並べていた。

もちろん専門的なことは書いてないし、
画像も適当、装飾も少なめ。
だけどコメント欄やSNSでの反応は、明らかにこれまでと違った。

「それなすぎて笑った」
「今朝、まさにそれで卵落としたとこ」
「書いてくれてありがとう」

たくさんの「共感」が、初めて自分の記事に集まってきた。


「役立つ」より「気持ちが届く」ってすごい

今まで、稼ぐための記事ばかり書いていた。
アフィリエイトリンクを設置して、キーワードを詰め込んで、無機質な文章で“正解”を並べていた。

でも、このバズった記事には、そんなものは一切なかった。
代わりにあったのは、「自分の実体験」と「正直な気持ち」だった。

たとえば…

  • 買い物袋から納豆が転がっていったあの日の恥ずかしさ
  • どこにでもある話を、自分の言葉で書いた素朴な構成
  • 「わかる〜」と言ってもらいたい、ただそれだけの熱量

それが“バズ”につながるなんて、正直思ってもみなかった。


バズ記事から得られた“二次アクセス”

驚いたのは、バズった記事そのものだけでなく、
そこからの“回遊”で過去記事にもアクセスが集まり始めたこと。

とくに、過去に書いた「時短術まとめ」や「ネットスーパーの使い方」みたいな実用系の記事が読まれ始めて、
その中に自然に置いていたアフィリエイトリンクが、初めて“本当に”クリックされた。

そこからわずかに発生した成果報酬。
たった数百円でも、私にとっては初めての“リアルな収益”だった。

「売れるって、こういうことか」

それを教えてくれたのは、意図せず書いた共感記事だった。


バズに乗る、というより「届ける」感覚

この経験で、ひとつ大きく変わったことがある。
それは、「誰に何を届けるか」を最初に考えるようになったこと。

今までの私は、「稼げるジャンルを調べる」から入っていた。
でも、これからはちがう。

「最近モヤッとしたことない?」
「この体験って、誰かに伝えたくならない?」

そんな会話を自分の中でしてから、記事を書き始めるようになった。

共感記事がすべてバズるわけじゃない。
でも、「人と繋がる」ための書き方があることを、ようやく実感できた。

ブログで稼ぐ」から「伝えることで動く」へ

あの1記事をきっかけに、私の中の“ブログ観”ががらりと変わった。

以前は、
「稼げるジャンルに絞れ」
「SEOを意識しろ」
「構成はPREPでまとめろ」

そんな情報を信じて、頑張っていた。

だけど、バズってくれたのは“あえて狙ってない雑記”だった。


やっぱりブログって、「人」が読むんだよね

アクセス数や収益の数字を追いかけすぎて、
私は“読む人”の顔をまったく見ていなかった気がする。

「売れるワード」で記事を書くと、確かに理論上は効率がいい。
でも、読み手が“共感できない文章”って、どれだけ構成が整っていても響かない。

それに気づいた私は、記事の書き方を変えた。

  • 導入で「あるある」を提示
  • 本文は体験ベース
  • 結論に「わかる!」を持ってくる

結果、数字に直結しなくても、SNSでの反応やコメントが確実に増えた。


コメントが届くブログは、もう孤独じゃない

「ブログって、孤独な作業」
そう思っていた。
実際、半年間はずっと誰にも読まれていない感覚で、モチベ維持が大変だった。

でも、バズ記事をきっかけにSNSやコメント欄で少しずつ声が届くようになって、
初めて「誰かが読んでくれてる」って実感が持てた。

「記事読んで、思わず声出して笑いました」
「うちの母も同じこと言ってます」
「この言い方、めっちゃ好きです」

そんな言葉が、数字より何倍も力になった。


とはいえ「バズ」は狙って作れない

…という現実にも気づいた。

2匹目のドジョウを狙って似たような構成の記事を何本か書いたけど、どれも全然伸びなかった。
SNSでのシェアもほとんどなし、Googleにも拾われない。

「奇跡の一発」だったのかも…と少し落ち込んだけど、
一方で「だからこそ価値がある」とも思えた。

あの記事は、狙っても作れなかった。
でも、“あのときの私の気持ち”を素直に書いたからこそ、多くの人に刺さったのだと思う。


次に備えて、「伝える準備」は続けておこう

再びバズが来るかどうかはわからない。
でも、伝える力は磨き続けられる。

「感情の置きどころ」
「言葉の選び方」
「体験の切り取り方」

これらを意識して書いていけば、いつかまた「誰かの共感スイッチ」に触れられるかもしれない。

そして、そういう記事のそばに、自然な導線でマネタイズポイントを置いておく。

それが、いまの自分にできる一番リアルな「副業ブログの戦略」だった。

バズの後にやってきた“数字の魔力”とメンタル崩壊の気配

あの記事がバズった数日間、私のGoogleアナリティクスは狂ったように数字を刻み続けていた。
PVが1日に5万を超えたことなんて、今まで一度もなかった。
アドセンスの推定収益欄も、見るたびに少しずつ増えていて、正直テンションが上がった。

「え、これがブログで稼ぐってことなの?」
「私、才能あるのかも?」

そんなふうに思ったのも束の間だった。


見えない読者が、急に“ジャッジ”してくる感覚

コメントが増えるのは嬉しかったけど、その中にはやっぱり批判もあった。

「こんな記事がバズるとか日本終わってる」
「ただの主婦の愚痴じゃん」
「で?オチは?」

匿名の言葉に、思っていた以上に心がざわついた。

今まで読者がいなかったから、ブログは“自分のための場所”だった。
でもバズった瞬間、それは“誰かに評価される場所”に変わってしまった。


バズったからこそ、何を書いても怖くなる

次の記事を書く手が、まったく動かなくなった。

「これ、つまんないと思われたらどうしよう」
「前回のノリをまた期待されてるかも…」
「炎上したらどうしよう」

そんなことばかり考えて、1行目すら書けなくなってしまった。

やっとの思いで書いた記事も、以前のようには伸びない。
それが余計に焦りを生み、「またバズらせなきゃ」みたいな謎の義務感が生まれた。


アクセス解析を“毎時間”見るようになってしまった

バズ直後の数日は、ほぼ中毒状態だった。

スマホを開いてアナリティクスをチェック

数字が減っていて焦る

SNSで再シェアしてみる

反応が薄くて落ち込む

このループを、1日に何度も繰り返していた。

結果的に、記事を書く時間も、自分をケアする余裕も、全部“数字の呪い”に吸い取られていった。


気づけば「稼ぐ」どころか「書けない人」になっていた

この頃の私は、まさに“メンタル削れまくりブロガー”だった。

  • アクセスがないと自分を否定された気がする
  • 収益が出ないと「やる意味ある?」と自問する
  • それでもバズの快感が忘れられない

完全に「ブログ=評価されるためのもの」になってしまい、
楽しくて始めたはずの副業が、いつのまにか“苦行”になっていた。


でも、ひとつだけ残ってた“救い”があった

それは、バズったあの記事に、いまでも時々コメントが届くこと。

「久しぶりに読み返して笑った」
「レジ袋の話、職場で共有したらウケました」
「こういうの、また読みたいです」

その言葉たちが、「数字の向こうに人がいる」と思い出させてくれた。

そして私は、ようやく“バズの後遺症”から、少しだけ抜け出すことができた。

もう一度「楽しく書く」を取り戻すまで

バズの後、数日は燃え尽きたように何も書けなかった。
SNSを開けば、フォロワーは増えてるけど、何かを発信するのが怖い。
ブログの管理画面を開いても、あの爆発的なPVが基準になってしまって、
「どうせ今回の記事は伸びないんだろうな」って思考に支配されていた。

でも、その沈黙の期間、私は思いがけず“昔の自分”を思い出す時間になった。


ブログって、本当は「好きなことを話す場所」だった

最初にブログを開設した日、私はとにかく書きたかった。
日常の小さなことを、誰かに聞いてほしくて。
たとえば――

  • スーパーで見つけた謎すぎるPOP
  • コンビニのレジ袋で起きた小競り合い
  • 推し活中に遭遇したおばあちゃんの神対応

そんな、日記に毛が生えた程度の内容を
「誰か笑ってくれるかな」と思いながら綴っていた。

その感覚が、いつしか“キーワード選定”と“競合チェック”に埋もれてしまっていたことに気づいた。


もう一度、「誰かと笑い合える文章」を書いてみよう

あのバズ記事が教えてくれたのは、「肩の力を抜いた記事こそ届くこともある」ということ。
だったらもう一度、戦略じゃなくて“体験”に立ち返ってみよう。
そう思った私は、久しぶりに「何の見返りも狙っていない」記事を書いた。

テーマは、
「買ったけど1ミリも使ってない100均グッズの話」

SEO的には弱い。検索ボリュームもない。
でも、私にとっては“言いたくてしょうがないネタ”だった。

そして投稿後、SNSでシェアしたら、地味に“共感の波”が来た。


「また読みたい」って言ってもらえた

バズほどではない。でも確かに届いた。

「これ、うちにもある」
「マジで使い道ないよね」
「今これ捨てようとしてたところw」

そんなコメントに、心がほぐれていくのがわかった。

そうだ、これでいいんだ。

PVが10万なくても、収益が5桁じゃなくても、
“誰かと気持ちを共有できる”って、それだけで価値がある。


稼ぐブログと、伝えるブログ。そのバランス

今では、「稼ぐための戦略記事」と「伝えたい雑記記事」を半々くらいで更新している。

  • 収益を意識した記事は、もちろん大事
  • でも、雑記のような“人柄が出る記事”があってこそ、読者が定着する

そのことに気づけたのは、あのバズがあったからこそだった。


「ブログやっててよかった」と思える日が、また来た

もしあのまま数字に振り回されていたら、
私はきっとブログを辞めていただろう。

でも今は、書くこと自体が少しずつ楽しくなってきている。

無理しない。比べない。
でも、「もう一度、あんな風に誰かの心を動かせたら」と思いながら、今日も記事を書く。

バズの先にも、“自分だけの続け方”があった

結局、バズは“奇跡”のようなもので、狙って起こすのは難しい。

でも、あの経験は確かに私のブログ人生にインパクトを与えてくれた。

数字に振り回されて、
自分を見失いかけたけど――

あの一発バズをきっかけに、
「自分にとっての“ちょうどいいブログとの距離感”」を見つけることができた。


稼ぐことが悪いんじゃない。でも、笑える自分でいたい

副業として始めた以上、稼ぐことを意識するのは当然だ。
でも、数字ばかり追いすぎて、笑えなくなってしまったら、本末転倒だと思った。

「好きで始めたブログなんだから、好きな自分でいられるように」
そう思って、いまはペースも内容も、無理なく整えている。

1記事で月100円しか稼げなかったとしても、
それが100人の「面白かった」を生んでいたら、それだけで満足だ。


あの記事がバズった理由は、たぶん“等身大”だったから

あのとき書いた記事、いま読み返しても、めちゃくちゃ平凡な内容だ。

スーパーのレジで起きた、どうでもいい小さな出来事。
それをちょっと笑いに変えて書いただけ。

でも、それが良かったのかもしれない。

「これ、うちもあるある!」
「まじで同じこと思ってた!」

そんな“共感”こそが、ブログの原点なのかもしれないと思う。


結論。ブログは「バズらなくても、続けていい」

私はこれからもブログを続けると思う。
それは、バズりたいからでも、稼ぎたいからでもなく、
「書きたいことがあるから」だ。

時々アクセスが跳ねればラッキー。
収益がちょっと入れば、明日のカフェ代に回せばいい。

でも、何より大事なのは――

「ブログを書いてる自分が、ちょっと好き」って思えること。


副業ブログ、最初は本当に稼げなくて焦ると思う。
でも、ひとつの記事で風向きが変わることもある。

そしてその経験が、
「続ける意味」と「自分らしいやり方」を教えてくれる。

だから――
もし今、アクセスが伸びなくても、心配しなくていい。
ちゃんと届く瞬間が、いつかきっとやってくるから。

一発バズでも、戦略でもない。「続けられる理由」が一番大事だった

ブログを始めたころ、「稼げる」「月5万円」なんて言葉に惹かれていた。
でも現実は、10記事書いてもアクセスゼロ、半年経っても収益はうまい棒数本。

それでも続けてこられたのは、
「自分の言葉でアウトプットできる場所」が欲しかったからだと思う。

そして今回の“たまたまバズ”が教えてくれたのは、
狙いすぎない記事でも、誰かに届くことがあるという事実だった。


バズは「一過性」、でも“スタイル”は積み重ねで作れる

今回、偶然ヒットした記事は、SEOも構成もそこそこ。
ただ、自分の体験をそのまま書いただけだった。

つまり、
**「正解っぽい記事」より「実体験ベースの等身大の記事」**が人の心を動かすこともある、ということ。

それを知ってからは、
“自分にしか書けないネタ”を中心に組み立てるようになった。

  • 生活でつまずいたこと
  • ネットで調べても出てこなかった工夫
  • 微妙に誰も書いてないような失敗談

これらは案外、「ロングテール」で読まれ続ける。


ブログ運営=収益×継続力

今回、1記事だけで数千円の収益が出た。
確かに驚いたし、嬉しかった。

でも、それだけじゃ長続きしないとも感じた。

なぜなら、「毎回バズを狙う」ことは現実的ではないから。

だから今は、こう考えている:

  • 爆発力のある記事が年に1〜2本でも出せればOK
  • 検索で細く長く読まれる記事をベースに構築
  • 自分が書きたい内容と、読者のニーズの交差点を意識

このバランスを見つけてから、記事制作がラクになった。


稼ぐより先に、ブログを「続けられる形」に整える

もし今、ブログが伸びずに悩んでいる人がいたら、
「PV」「収益」の前に、まず“続けられる環境”を作ることをおすすめしたい。

  • 書くジャンルに縛られすぎない
  • 完璧な構成より、まず投稿することを優先
  • 反応があった記事を起点に展開を考える

この3つだけで、運営のストレスはだいぶ減る。

そして、気づいたときに「続けてきてよかった」と思える日が必ずくる。


今回のバズ記事がきっかけで、
「書くこと」と「届けること」の面白さをあらためて実感できた。

続けてよかった。
本当に、それに尽きる。

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この記事を書いた人

元Webプログラマー。現在は作家として活動しています。
らくがき倶楽部では「らくがきネキ」として企画・構成、ライターとして執筆活動、ディレクション業務を担当しています。

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