母が“推し活”を覚えた末、戦場へ一緒に向かった話

目次

母が“推し”の名前を覚えようとしてくれた朝

「で、結局その子は……ユウト?ユウマ?どっちの子が“推し”なの?」

母のその一言に、私は箸を止めた。
もう、何度も説明しているのに。
いや、聞き返してくれるだけありがたいのかもしれないけど……。

「……ユウト、だってば。ユ・ウ・ト!“ユウマ”はドラマの相手役の方!」

「そうだったっけ?顔、似てない?ていうかどっちも髪の毛明るくて分かんないのよね〜」

「はぁ……(深いため息)」

このやりとり、実は今日で3回目だ。
ここ最近、母が私の“推し活”に妙に食いついてくるようになって、
朝ごはんの時間がちょっとした“復習タイム”になっている。


オタクな娘と、ちょっと天然な母

私は高校2年生。
いわゆる“推し活女子”で、2.5次元舞台の俳優「一ノ瀬ユウト」さんにガチ恋……いや、敬愛している。

きっかけは、中学時代に友達から勧められた舞台DVD。
一ノ瀬さんが演じるキャラの圧倒的存在感に、
心臓を撃ち抜かれたような衝撃を受けて以来、もう3年近くの推し歴になる。

でも、うちの母は完全なる“非オタ”。
ドラマは録画せず、推しもおらず、YouTubeも「猫の動画」くらいしか観ないタイプ。

そんな母が、どうしてか最近、
「推しって何がそんなにいいの?」
「顔が好きなの?それとも性格?」
「どこまで好きだと“ガチ恋”って言うの?」
と、まるで“入門書を作ろうとしている編集者”のような勢いで質問を投げかけてくる。

最初は正直、戸惑った。
「え、どうしたの?なんでそんなに興味持ってきたの?」って。

けど、なんとなく嬉しくて、
気がついたらつい、自分からも写真を見せたり、出演情報を話したりしてしまっていた。


母なりの“応援”が、じわじわと始まった

ある日、学校から帰ると、
母が冷蔵庫に貼ってあるマグネットの横に、見慣れないメモを見つけた。

《ユウト=茶髪/笑顔が優しい/ちょっとツンデレ役が得意/ポスターは右》

ポスターって……私の部屋の壁に貼ってるやつじゃん(笑)

「これ、なに?」と聞くと、母はバツが悪そうに笑いながら答えた。

「だって、覚えたいのよ。“推し”って大事なんでしょ?」

「う、うん……まあ、大事だけど……」

「覚えておかないと、すぐ間違えるじゃない。あの子、名前だけでなくて髪型もころころ変わるし」

たしかに、一ノ瀬ユウトくんは舞台によって髪色が変わるし、メイクも濃かったり薄かったり。
私でもたまに「新ビジュ出た!誰!?」ってなる。

でも母が、自分なりに「覚えよう」としてくれているのが、なんだかちょっと照れくさかった。


“わかってない”のに“わかりたがる”母の姿

次の日の朝。

「ところで、そのユウトくんは、演技うまいの? 学歴は?」

「……学歴?」

「だって、結婚したくなるほど好きなんでしょ? だったらお母さんとしては気になるじゃない(笑)」

「や、別に結婚したいとかじゃなくて……」

「え、じゃあなに?心の彼氏的な?」

「いや、だからそういう言い方がさぁ……!」

母は、どこまで本気で言ってるのか分からないテンションで、
“推し”についていちいちズレたことを言ってくる。

でも、どこか真剣でもある。

あるときなんて、スーパーで「ユウトくんの好きな食べ物って何?」って聞かれた。

「……フレンチトーストだった気がする」

そう答えたら、夕飯にフレンチトーストが出てきた。

「え、なにこれ……」

「食べたら気持ち分かるかなと思って(笑)」

そこにはフレンチトーストと一緒に、ちょっとだけ焼きすぎたウィンナーが添えられていた。


「伝わらないけど、伝えたい」って、こういうこと?

友達にこの話をLINEで送ったら、
「それはもう親バカじゃなくて、ガチの“娘推し”だよw」と返ってきた。

思わず笑ってしまった。

母にしてみれば、私がどれくらい“推し”を大切に思っているかは正直よく分かってないと思う。

でも、“わかってないなりに”関わろうとしてくれている。
それは、たぶん、私が思っているよりもずっとすごいことだ。

だって、私だって、
母が好きな「昭和のアイドル」とか「石鹸のブランド」とか、
よく分からないまま「ふーん」としか返してないのに。


“ズレ”のなかにある“あたたかさ”

ただ、母の“推し理解”には、やっぱりズレが多い。

「この前、テレビに出てたよ!あの子!ユウトくん!」と録画を見せられたことがあったけど、
それは完全に別人だった。
顔も違えば声も違うし、演技のタイプも全然違う。

「……これ、ユウトじゃないよ」

「え、違うの!?だって、髪型似てたし、目がくりっとしてて……」

「いやいや、ユウトはこんなに眉毛太くないし!」

「えっ、そうだったっけ!?」

その録画を一緒に観ながら笑っていたとき、
ふと、私は「こういう時間、ずっと続けばいいのにな」と思っていた。

推しの話なんて、普通はオタク仲間としかしない。
ましてや、家族にするなんて思ってもみなかった。

だけど、
母がそれを“知らないなりに受け止めてくれる”ことの嬉しさは、
思っていた以上に大きかった。

“推し”が日常になる、その瞬間


「ねぇ、“ユウト”くんって、犬好きなの?」

母がそう聞いてきたのは、洗い物をしている私の背後からだった。
突然すぎて、スポンジを泡だらけのまま止めて振り返る。

「え、なに急に。……知ってるの?」

「この前、スマホで“犬を抱いてるユウトくん”の画像見たのよ。なんか、うちのモモと似てたから」

モモとは、我が家で飼っているポメラニアン。
茶色い毛並みにくるっとした目元が、たしかに一ノ瀬ユウトさんのビジュアルとどこかリンクする。

「まぁ、動物番組に出たときのオフショかな。確かに、犬好きだったはず」

「ふふっ、じゃあモモ連れて舞台行けば覚えてもらえるかしらね〜」

母の発想が斜め上すぎて、思わず吹き出してしまった。

「舞台中に犬連れていく客なんていないでしょ!」

「そう?ファンサくれるかもしれないわよ〜?」

そんなふうに、最近の母は私の“推し活”に絡んでくる。

もちろん、ガチ勢と呼べるほど詳しいわけではない。
でも、たとえば舞台配信のある日には、さりげなく部屋にお菓子を置いてくれたり、
ポストカードを飾る棚を「もうちょっと広くしてあげれば?」と提案してきたりする。

そして何より、ふとした会話のなかに、ユウトくんの名前が出てくる。

それが、妙に嬉しいのだ。


母と“配信鑑賞”という未知の体験

その日は、月に一度ある舞台配信の日だった。

推しが出演する新作2.5次元舞台のライブ配信。
ファン同士では“リアタイ視聴”が暗黙のルールみたいなもの。

私は、部屋の空気清浄機をオンにし、照明をちょうどいい“推し色”にセット。
大好きなキャラアクスタも整列させ、いざ開演!

すると、開演5分前。
母が、のっそり部屋に入ってきた。

「ちょっとだけ一緒に見てもいい?」

一瞬、戸惑った。

だって、舞台配信ってけっこう“神聖”な時間。
オタクにとっては、静かに、集中して、涙して、画面に敬礼する時間なのだ。

しかも母は、序盤で登場人物の顔と名前を混乱し、
中盤でいちいち「この人は誰?」とか聞いてきそうなタイプ。

でも私は、なぜか断れなかった。

「……あー、じゃあ静かにしててね?」

「はいはい、分かってますよ〜“ガチ恋の儀式”でしょ?」

軽口を叩きながら、母は私のベッド端に腰を下ろした。


“尊さ”の共有は、ちょっと難しい

配信が始まった。

舞台の幕が上がり、推しが登場するやいなや、私は心の中で悲鳴をあげる。

「(えっ、ビジュアル強すぎない……?やばい……鼻血出そう)」

その横で、母はマシュマロを口に運びながら「へぇ、背ぇ高いね〜」とつぶやく。

次の瞬間、推しがソロで歌い始めると、私はまた心を撃ち抜かれる。

「(あかん……歌声が、沁みる……!)」

が、母は別の意味で感心していた。

「舞台なのに、マイク使ってないのね……肺活量すごい」

「いや、そこ!? いやまあそうだけど!!」

心の中でツッコミを入れながら、私は画面に集中する。

途中、涙ぐみそうなシーンになると、
母がそっとティッシュを差し出してきた。

「泣くでしょ?」

「う、うん……ありがと」

舞台配信を親と一緒に見る日が来るなんて、正直、想像もしなかった。

“わかってない人”と一緒に見ると、温度差がつらくて楽しめないんじゃないかと思っていた。

でも、母は母なりに、その場を楽しんでいた。

それが、じんわり嬉しかった。


終演後の感想戦が、なぜか一番しあわせ

カーテンコールが終わり、配信が切れる。

私はぐったりとした感情のまま、余韻にひたっていた。

「どうだった?」

「……最高だった。尊かった。語彙力なくすくらいに……」

「ふふ、よかったわね。私にはまだわかんないけど、なんか元気になるのはわかったわ」

母はそう言って立ち上がると、
「じゃ、感想戦は任せるわ〜」と部屋を出て行った。

そのひと言が、妙に心に残った。


“分からないなりに寄り添う”って、こういうことかも

推しの素晴らしさを“100%理解してもらう”ことは無理かもしれない。

でも、“一緒に何かを見る”“話を聞く”“思い出そうとしてくれる”。

そのひとつひとつが、
私にとっては、まるで“ファンサ”のように感じられた。

母が“推し”の名前を完璧に覚えた日


「あっ、ユウトくん。……って、言ってたよね?」

朝ごはんを食べながら、母が突然そう言った。
私は一瞬、固まってから「うん……そうだけど、なに?」と返す。

「昨日、テレビで出てたのよ。バラエティ? みたいなやつに。あの子、ちゃんと喋ると結構ふわふわしてて可愛いわね」

「え!? 出てたの!? 見てない!」

思わず箸を放り出しそうになる。
情報を把握していなかった自分を恥じながら、急いでスマホで番組名を検索する。

母の方が“推しの出演”を先に気づくなんて、ありえない。
でも、それがちょっと誇らしくもあった。


母の中で、“ユウトくん”が固まり始める

後日、録画を見返していた私の背後に、またしても母が登場。

「あ、それそのシーン! このとき言ってたじゃない、“焼肉で白米頼む派”って」

「……なんでそんな細かいとこ覚えてるの?」

「だって、お母さんも同じタイプだから。共感しちゃって(笑)」

なるほど、共通点で覚えたのか。

たしかに、母は焼肉に行くと白米をがっつり頼む派。
タレが染み込んだ肉をごはんに乗せて、口いっぱいに頬張るのが至福だという。

「ちょっと好感度上がったわ〜あの子」

「ちょっと!? こっちはもう人生の推しなんですけど!?」

母はにやにやしながら、「それは重いわね」と言ってソファに深く沈んだ。


そして事件は起こった。

学校から帰ると、テーブルに一枚の紙が置いてあった。

「なにこれ……?」

思わず声が出た。

そこには手書きで、


■ユウトくんの特徴まとめ
・笑うと左の口角が上がる
・舞台:セリフがハキハキしてて聞き取りやすい
・苦手な食べ物:トマト(※雑誌情報より)
・趣味:ギター、犬の散歩、アロマ?(うろ覚え)
・笑いのツボが浅い(すぐ笑う)
・衣装は黒系が多い?
・たぶん暑がり(汗かき)


「……母さん……」

突っ伏したくなる衝動を堪えながら、隣にあったメモを裏返すと、そこにはこう書かれていた。

覚えたことまとめてみた。これで今度間違えない!

笑うしかなかった。

「真面目か!!」

でも、笑いながら泣きそうになった。


“受け入れる”って、こういうことかもしれない

母は、別に推しのファンになったわけじゃない。
それでも、私の話を“聞くだけ”じゃなくて、“理解しよう”としてくれていた。

その行動が、ただただ嬉しかった。

「お母さん、ちょっと覚えすぎじゃない?」

「なんでよ。だって、あんたがいつも語ってくるんだから、自衛しとかないとでしょ(笑)」

「自衛って……(笑)」

そう言いながらも、母は“自衛”どころか、もはや“味方”になっていた。


“共通言語”があるという奇跡

ある晩、夕食中に私が何気なくつぶやいた。

「今度、舞台の円盤(Blu-ray)発売するんだよね……」

すると、母は「あら、じゃあお小遣いちょっと前倒しで渡すわ」と言った。

「え、いいの?」

「だって、予約しないと“初回特典”とかつかないんでしょ? この前も言ってたじゃない」

私は箸を持ったまま、言葉を失った。

推し活に興味がない人にとって、“初回特典”の重要さなんて、なかなか理解されない。
なのに、母はそれを“覚えて”いて、“理解して”行動してくれた。

その瞬間、「あ、この人ほんとに私のこと見てくれてるんだな」と思った。


娘が笑ってると、母もうれしい

その夜、母がこっそりとこんなことを言ってきた。

「あなた、ユウトくんの話してるとき、目がすごく輝いてるのよ」

「え、なにそれ……」

「だからね、知らなくても、話聞いてるだけで楽しいの。あなたが楽しそうだから」

不意打ちだった。

私はいつも、自分の“好き”を必死に伝えていた。
“共感してほしい”と、どこかで思っていた。

でも、母は“共感しよう”とはしていなかった。
ただ、“見守ろう”としていた。

そして、私が笑っていることで、
母も嬉しくなるのだと、初めて知った。


“好き”が家族の会話になる日常

それからというもの、我が家の食卓にはよく“推し”の話題が出る。

「ねぇ、ユウトくんって身長いくつだっけ?」
「このドラマにも出てたって本当?」
「インスタのストーリーってどうやって見るの?」

そんな、ちょっとズレた質問に答えながら、
私は母と“共通の話題”を持てたことが、嬉しくてたまらなかった。

“母の覚醒”と、予想外の誤爆事件


ある日のことだった。

母が帰宅して、私に手渡したのは、
推しの名前が大きく印刷されたポスター付きの雑誌だった。

「本屋で見かけたの。あんた持ってないって言ってた号でしょ?」

「あ、うん……え、うそ、これ初回特典ついてるやつ……!? なんでわかったの?」

「ちゃんと貼り紙見たもん。“特典あり〼”って赤で書いてあったわ」

どこまでも進化している……。
“ユウト観察メモ”を作っていた母は、ついに“現地特典判断”スキルまで獲得していた。


そして事件は突然に。

ある日、学校での授業中。
私はこっそりスマホを見ようとして、通知に目を奪われた。

「母さん:これイッチの好きな子だよね?? サイン入りで売ってるって!」

添付されたのは、某フリマアプリのスクショだった。

“直筆サイン入りチェキ(イッチ様へ)”
¥15,000

目を見開いたまま、私は凍った。

いやいやいやいや、ちょっと待って!?
フルネームで私の名前が書かれたチェキ、って、
それファンレターイベントで私がもらったやつじゃない!?

なんでそれがフリマアプリにあるの!?!?
ていうか、なんで母さん、それを見つけた!?

即レスする。

「お母さん!? それ私のサイン入り!!!」

「えっ!? えぇ!? えええっ!? ご、ごめん!? でも、どうしてフリマに……?」

私の脳内で、いろんな“最悪な可能性”が巡った。

・間違って誰かに貸したまま返ってきてない?
・部屋の整理でまさかの母が出品??
・いやいや、盗まれてた????

「お母さん!!お願い!!出品者に連絡とって!!今すぐ!!!」


誤爆、でも“本気の心配”だった

その後、結局その出品は画像転載詐欺の可能性が高いと分かり、事なきを得た。

でも、驚きよりも先に、私は母の“全力の焦りっぷり”が忘れられなかった。

「だって……あの、イッチの宝物かと思って。
それが売られてたら、なんか胸がギュってして」

そう言って、申し訳なさそうにスマホを見せてくれた。

「ごめんね、勝手に“追って”て。でも、推しの名前で検索してたら、偶然見つけちゃって……」

私は思わず母の肩に寄りかかった。

「ありがとう。心配してくれて、本当にうれしい」


“検索履歴”が育てた母の好奇心

その後、母のスマホを見せてもらったら、検索履歴が面白すぎた。

  • 「一ノ瀬ユウト インスタ」
  • 「ユウトくん 握手会 神対応」
  • 「ユウトくん 腹筋」
  • 「ユウトくん 兄弟 いる?」
  • 「推し 舞台 豆知識」
  • 「チェキとは 意味」

母、完全に“初心者オタク”の軌跡を辿っている……。

「“チェキとは”って……(笑)」

「だって、みんな持ってるから、何かなって。あの小さい写真で、なんであんなに高いの?」

「尊いからだよ!!!」

「そ、尊い……。なるほど、つまり“値段じゃない”ってことね?」

「そう!!!」

こんなにも“価値観”の違う親と、
“同じ用語”で語り合える日が来るとは。


次なる母の野望:“本人に会う”

ある日の夕食後、母がぽつりと呟いた。

「いつか、“生で”見てみたいわ。ユウトくん」

「え?」

「だって、こんなに話を聞いてるのに、姿を生で見たことないの、もったいない気がしてきて」

私はスプーンを口に運ぶ手を止めた。

「……ライブ? 舞台? イベント??」

「そうねぇ、舞台? あの“生で観る系”って、あんたこの前言ってたやつ。あれ、行ってみたい」

私は思わず立ち上がった。

「まじで!? 母が!? 現場参戦!?」

「現場って言うの?(笑) でも……チケットって、簡単に取れるものじゃないんでしょ?」

「うん。抽選で、倍率高いから……」

「ふふ、それでも“チャレンジしてみたい”って気持ちになるのは、やっぱりイッチが楽しそうだからね」


応援されるって、こんなにも心強いんだ

その言葉に、胸がぎゅっとなった。

母が“私を通して好きになった人”を、
“ちゃんと知りたい”って思ってくれている。

それって、ものすごく幸せなことなんじゃないか。

私は小さくうなずいた。

「じゃあ……次の現場、一緒に応募しようよ」

「本当に!?」

「うん。“同行者:母”で」

その瞬間、母が声をあげて笑った。

「えーっ、やだー、“同行者:母”って!書類とかに載るの?」

「ちょっと違うけど(笑)、気持ち的にはそれ」


“推し活”が、家族をひとつにする奇跡

もちろん、まだまだ母はオタク用語に疎いし、
舞台の内容も全部は理解していない。

でも、
“推しを通してわかり合おうとする姿勢”
それだけで、心があたたかくなる。

「好きなものの話を、否定されない」
「わからないけど、知ろうとしてくれる」

その積み重ねが、
ただの“親子”から、“チーム”になる瞬間なのかもしれない。

母と“現場”に行く日がやってきた


ついにその日が来た。

「当選した!?マジで!?」

私は通知画面を何度も見直し、叫び声をあげた。
舞台のチケット抽選結果、“当選”の二文字がそこにあった。

同行者の欄には――「母」

「うわーっ……これ……どうしよう……」

心の底から嬉しいのに、どこか不安でもある。
“現場”に母と行くなんて、想像もしてなかったからだ。

「ほんとに、行くの?まだ間に合うけど、キャンセルする?」

冗談めかして聞いた私に、母は腕を組んで言った。

「は?なに言ってんの。
この日のために、“双眼鏡の練習”までしたんですけど?」

「そこまでしてたの!?」

「当たり前よ。
“顔を直視できる距離で見ると、息が止まることがあります”って、あんた前に言ってたじゃない」

「うわーそれ、言った!たしかに言ったわ!!」


“母用の推し参戦グッズ”が、妙に本格的

当日は朝から妙な緊張感があった。
私は推し色のカーディガンに、控えめなペンライトとアクスタストラップ。
母はというと――

「どう?これ、私の“推しデビュー服”」

なんと、ユウトくんの衣装イメージに合わせた黒のシャツワンピに、
手作りっぽいロゼットバッジが胸元に。

「お母さん、それ自作したの!?」

「うん。ダイソーで材料集めて、昨日の夜中こっそり……」

「やば……尊敬しかない」

「“布系うちわ”は禁止らしいから、代わりに気持ちを込めてね」

おそるべし母、ガチ勢の片鱗を見せはじめている。


開演前の“戦場”で、母が浮かないように

会場ロビーに着くと、そこはすでに戦場だった。
推しTシャツに缶バッジ、アクスタを首からぶら下げたファンたち。
“圧”がすごい。

「うわー、なんか場違い感……」

「大丈夫、お母さん、全然浮いてないよ」

「ほんと? なんかもう、“推しが息してるだけで泣ける”って人いそうで、こわい」

「実際いるからね」

母がごくりと息をのむ。

でもその顔はどこか楽しそうで、
“非日常”に興奮しているようだった。

「初めてだわ、こういうの」

「初めてでこれを選んでくれて、ありがと」


“あの瞬間”、母が隣で泣いていた

開演。

スポットライトが暗転を破って走り、
キャストが登場する――その一瞬で、会場の空気が変わる。

“彼”が舞台に現れた瞬間、
私は息を止めた。

そして隣を見ると、母もまた――

目を丸くして、そして目を潤ませていた。

「……え、泣いてるの?」

「うん……なんか……分かんないけど、すごく綺麗だったから」

その言葉に、私の胸も熱くなった。

母は、物語の意味や伏線なんか、ほとんど知らない。
セリフの背景も、キャラ設定も、まだ曖昧なままのはず。

それでも、
その“場”の空気を、
推しの“気迫”を、
ちゃんと受け取っていた。

その瞬間、確信した。

――連れてきてよかった。


終演後、“母の本気レポ”に震える

舞台が終わり、会場を出た直後。

母はテンション高く感想を述べ始めた。

「いやぁ〜、あの子ほんとに立ち姿が美しいわね!っていうか、手の動き、あれ完全に演出でしょ?“あそこで左手を添えるの反則だわ〜”って思ったのよ」

「いやマジでそこ!? ていうか、そこ気づくのすごいよ……!」

「あと、最初の方で出てきた敵役の人、あれ演技うまいね。ちょっとゾワっとしたわよ。
ユウトくんがセリフ詰まらず言えたの、きっとあの人のリードもあると思う」

「母、何者?」

私は本気で感心した。


“わかろうとする姿勢”は、人を変える

その帰り道。
私は母の横顔を見ながら、ぼそっと言った。

「……今日さ、すごく嬉しかった」

「え?なにが?」

「なんか、母が“私の大好きな世界”に入ってきてくれたことが。しかもちゃんと、全力で」

母はちょっと照れたように笑った。

「いやぁ、最初は“若者文化”についていけるか不安だったけどさ。
でも、あんたが楽しそうだと、やっぱ気になるのよね。なんか、置いてかれたくないっていうか」

「うん」

「それにさ、こんなに一人の人を応援してる姿見るのも、なかなかレアだから。
……あ、なんか今日、ちょっとだけ“推し”の意味、分かった気がする」

その言葉が、
今日のハイライトだった。


母が、“推し”を名前で呼んだ

家に帰って、母がぽつりとこう言った。

「……あ、そうだ。ユウトくんって、次はどんな役やるの?」

私は心の中で小さくガッツポーズをした。

「“推し”とか“あの子”じゃなくて、名前で呼んだ!!」

ついに、母の中で、
“推し”が“個人”になったのだ。

その瞬間が、なにより嬉しかった。

“伝わらなくても、伝えようとする”という愛


翌朝の食卓。

目玉焼きを焼きながら、母がひと言。

「ねぇ、“ユウトくん”、アクションもやるの?」

「え?うん、舞台によっては。なんで?」

「昨日の舞台で、あの飛び跳ねるとこ、すごくバネあるなって思って」

私はコーヒーを口に含みながら、吹き出しそうになった。

――ついに母が、推しの“身体能力”を語りだした。

これが嬉しくて仕方ない。

少し前までは、「あの子」「ほら、あんたの好きな人」だったのに。

今は、「ユウトくん」って名前で話してくれる。

それだけで、なんだか救われる。


“推し”という概念は、簡単には理解されない

推し活をしていて、何度ももどかしい思いをしたことがある。

「そんなにお金かけるの?」
「現実見たら?」
「どうせ会えないじゃん」
「それ、恋愛なの?」

どれも、刺さった。

だけど、母だけは言わなかった。

その代わりに、
「なんで好きなの?」
「どこが一番素敵だと思う?」
「何に惹かれたの?」

そうやって、“知ろう”としてくれた。

その姿勢が、何よりの支えだった。


母がくれた言葉の破壊力

ある日、母が何気なく言った言葉が、今でも忘れられない。

「イッチがユウトくんの話してる時って、ほんとに綺麗な顔するね」

「え、なにそれ、どっちの顔!?私!?ユウトくん!?」

「……あんたの顔よ(笑)」

なんだか、泣きそうになった。

私は“推し”に恋してるけど、
母は“推しを好きな私”を、ちゃんと見てくれているんだ。

その視線が、ものすごくあたたかくて、まぶしかった。


“会話の途中”に、ふと現れる愛しさ

その後も、母はことあるごとに、推しの話を挟んでくる。

スーパーで豆腐を手に取る時。

「ユウトくん、料理できるのかな?」

ニュース番組で舞台の特集を見た時。

「あっ、こういう役も似合いそうね」

何気ない日常に、推しがぽつぽつと顔を出す。

それは、母が“私の興味”を通じて、私の世界に入ってきてくれてる証拠。

まるで、“二人だけの共通言語”ができたような気がした。


“好き”は、伝染するものだった

ある日、帰宅したら母がパソコンの前で何かをしていた。

「なにしてるの?」

「ん?ちょっと、ユウトくんの過去舞台のダイジェスト見てたのよ」

「……本格的すぎない??」

「昨日の舞台が、忘れられなくてねぇ。ちょっとハマってきたかも」

私は心の中で拍手した。

母が“推し”を通して、新しい扉を開き始めている。

“好き”って、こんなふうに広がっていくんだ。


母の“推し語彙”が進化していた件

後日、ふとした会話で母が言った。

「このビジュ、最高だわ〜」

「えっ!?ビジュ!?」

「なにその反応。私だって、今どきの言葉くらい使うわよ〜。“神ビジュ”でしょ?」

「言い慣れてる感が怖い……!」

「あとさ、“供給過多”ってこういうこと言うんでしょ?」

「え、まって、どこで仕入れたの!?その語彙力!?」

「SNS……っていうか、検索してたら、そういう感想が多くて」

「母、沼ってるね……」

「沼ってる?」

「もういいや……深くは聞かないで(笑)」

でも正直、ちょっと嬉しかった。

“オタク語”で会話ができるようになってきたことが。


“共有する推し活”がくれるもの

私がひとりで推しを応援していたころは、
喜びも、悔しさも、全部一人で抱えていた。

でも今は、
「落選した……」と言えば、母が「次は一緒に念送ろう」と言ってくれる。

「この衣装、神だと思わない?」と語れば、
「脚線美が際立ってたわね」と返してくれる。

母の言葉が、
私の“推し活”を何倍にも輝かせてくれる。


“わからない”から、“わかろうとする”へ

母は、完璧にオタクを理解しているわけじゃない。

でも、“わかろうとすること”を、決してやめなかった。

「イッチの話を聞いてると、好きって気持ちって、すごいなって思うのよ」

ある日、母が言ったその言葉が、私の胸をじんわりとあたためた。

「応援って、ただ見てるだけじゃないのね。
なんか、一緒に泣いて、一緒に喜んで、そういうのが、あるんだなって」

“応援することの本質”を、
もしかしたら私より深く感じているのかもしれない。


母と私の、ちょっと変わった“家族のかたち”

今、我が家の冷蔵庫には、
ユウトくんの舞台グッズのマグネットが貼ってある。

カレンダーには、次の舞台応募開始日のメモ。

リビングには、推しのインタビューが載った雑誌が。

いつのまにか、
“私の好きな世界”が、“母と私の世界”になっていた。

それが、すごく嬉しい。


最後にひと言、母へ

お母さんへ。

推しを覚えてくれてありがとう。
応援してくれてありがとう。
わかろうとしてくれて、笑ってくれて、
たまに的外れだけど、それでも一生懸命でいてくれて――

本当に、ありがとう。

“推し活”って、
きっと“ひとりでも楽しめるもの”だけど、
“誰かと共有できたときの喜び”って、格別なんだって、
あなたが教えてくれました。

・登場する人物・団体・名称等は架空のものであり、実在のものとは関係ありません。

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この記事を書いた人

元Webプログラマー。現在は作家として活動しています。
らくがき倶楽部では「らくがきネキ」として企画・構成、ライターとして執筆活動、ディレクション業務を担当しています。

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