SNSで話題の“運命の人診断”に全力でハマって反省した話

目次

“当たりすぎて怖い”SNS診断に沼ったはじまり

「ねえ、ちょっとこれやってみてよ。マジで当たるから」

授業終わりのカフェ。
いつものように、私とマナは“だらだら女子会”モードで、スマホ片手におしゃべりしていた。

マナが差し出してきたスマホには、見慣れたSNS画面。
診断メーカー系のリンクが貼られていて、そこには目立つ文字でこう書いてあった。

『あなたの“運命の人”の特徴を言い当てます』

……はいはい、またそういうやつでしょ。
血液型とか星座とか、あるあるをちょっと並べて、それっぽい雰囲気出してくるやつ。

「……当たるって、こういうのって大体誰にでも当てはまるようになってるんじゃないの?」

「いや、それがさ、わたしの“運命の人”の特徴、“背が高くて、スポーツ好きで、意外と繊細な人”だったの。でさ、〇〇くんのことじゃんって思って!」

「〇〇くん……あのサークルの?」

「そう! もうドキドキしちゃってさ〜」

マナは手を頬にあてて、目を輝かせていた。
そのテンションにつられて、私は笑いながら画面をタップしていた。

「じゃあ、わたしもやってみるかぁ……」


出てきた“運命の人”の条件が、あまりにも具体的だった

必要なのは、名前(ニックネーム)と誕生日だけ。
あとはAIが自動で診断文を生成してくれるらしい。

タップして数秒後、私の画面に表示された診断結果は――

『あなたの運命の人は:
・やさしい声をしている
・本をよく読む
・色白で指がきれい
・猫が好き
・あなたの話をよく覚えている人です』

「……え、ちょっと待って、これさ……」

「ん?どうしたの?」

「これ……A先輩のことじゃない……?」

心の中でザワザワと波紋が広がった。


A先輩のことなんて、もう気にしてなかったはずなのに

A先輩は、わたしが去年の春にちょっとだけ気になっていた人だ。

図書館で偶然隣に座ったのが最初で、数回顔を合わせて、話すようになって。
でも特に進展はなくて、連絡先も知らないまま、時間だけが過ぎていった。

「なんとなく、話すと落ち着く人だったな」

そういう印象だけを残して、心の隅っこにそっとしまっていた人。
それなのに、この診断結果を見た瞬間、頭の中に彼の顔がバチッと浮かんだ。

……あの声、たしかにやさしかった。
……本もよく読んでたし、猫の話してたことあった。
……わたしが話した好きな小説、ちゃんと覚えてくれてた。

「うわ、やばい……これ、思い出させにきてる……」


“当たる診断”は、心に火をつけてくる

「マナ、ちょっとこれやばいわ」

「でしょ!? 当たるよね!?」

「……いや、当たるっていうか、なんか思い出したくない人を思い出させられるやつ……」

「え、だれ?だれ?」

「A先輩……去年の図書館の……」

「うわ〜〜〜懐かしっ! いたいた!」

わたしたちは笑いながらも、画面をもう一度見返してしまう。
診断って、思ってる以上に人の記憶をくすぐってくるんだなと、今さらながら実感した。

そして、それが“ほんとうに運命の人なのかもしれない”という気持ちを、無意識に育てていく。


“運命”という言葉は、ロマンチックすぎる罠だった

その日の夜、私はなぜかA先輩のSNSを探していた。

特にフォローしていたわけでもなく、共通の知人から辿っていって、ようやく見つけたアカウント。

最新の投稿には、相変わらず本の感想が書かれていて、
その中には、わたしが一度話したことのある作家の名前もあった。

「……え、覚えててくれてる?」

そんな淡い期待が、胸のどこかをチリチリと焼いた。


診断の“正しさ”を、つい裏付けたくなってしまう

この瞬間、私はもう、完全に“診断の沼”にハマっていたのだと思う。

ひとつひとつの項目に、自分なりの“根拠”を探し始める。
「そういえばあの時も……」「たしかにあの言葉も……」と、パズルのピースを無理やりはめていくような感覚。

そして、そのピースが揃ってしまったとき――

「これは、運命なんじゃないか」

そんな風に信じてしまうのは、きっとわたしが“恋をしたかった”からなのかもしれない。


“信じたくなる”気持ちが、何より強い魔法になる

翌日、マナとまた会って、話した。

「……でさ、SNSの投稿で、“本の感想”書いてたの! わたしが話したやつ!」

「やばくない? それってもう“運命確定”じゃん(笑)」

「ね、やっぱそう思うよね?」

わたしのテンションは、もう完全に“中学生の恋”みたいになっていた。

でも、今思えばこのあたりが、“地雷原の入り口”だったのかもしれない。

再会作戦と“運命”に支配されていく私


「次に会えたら、これはきっと運命だよね」
マナとのLINEにそう打ったとき、私の中ではすでに半分確信に変わっていた。

……A先輩にまた会えたら、それはもう診断の通り。
やっぱり“運命の人”ってことなんじゃないか、って。


偶然を“仕組む”のは、恋する乙女の常套手段です

あれから数日。
私がやったのは、簡単に言えば“張り込み”だった。

といっても、本格的なストーキングとかじゃなくて、
A先輩がよく利用していた図書館のあたりを、
ちょっとだけ通りすがってみる……それだけ。

タイミングよく、私はレポート課題を片付ける必要もあったし、
「別に偶然、だし」なんて言い訳も、心の中で成立させていた。

1日目、2日目は空振り。
「あれ〜、もうこの辺には来てないのかなあ」
なんて少し気落ちしていた3日目――

「あれ……イッチさん?」

……いた。

ほんとに、いたんだ。


運命の人と、まさかの再会。そして、再点火

「わ、こんにちは……!」

私は一瞬で、声が裏返らないようにするのに必死だった。

「お久しぶりですね。図書館、よく使ってます?」

A先輩は相変わらず落ち着いた声で、
少しだけ笑ったような優しい表情を見せてくれた。

(やさしい声、猫が好き、本が好き、話を覚えてる……)
またあの診断のワードたちが、脳内で一気に再生される。

「ええ、レポートの資料が必要で……先輩は?」

「僕もですね。あとはちょっと息抜きで」
彼が手にしていたのは、文庫本。
表紙には、私が好きだと話していた作家の名前があった。

「……その本、好きなやつです」

「覚えてました。去年、イッチさんが話してましたよね」

ガンッ!!!

……心臓が鳴った。
いや、破裂したかと思った。


「たまたま」は全部、運命に見えてしまう魔法の時期

そのまま自然に並んで座って、少し話した。

最近の学校のこと、サークルのこと、レポートの愚痴――
特別な話は何一つしていないのに、
私はどんどん心が浮き上がっていくのを感じた。

彼が目を細めて笑うたびに、
「やっぱこの人が運命の人なんじゃないか」と思ってしまう。

冷静に考えれば、偶然の再会。
たまたま私がいた時間に、彼も来ただけ。

でも恋って、
“たまたま”を“運命”に変換する力があるんだな、と
そのとき実感した。


なにかしらの“前兆”がほしくて、占いジプシーになった夜

その日帰宅してからの私は、もう完全に浮かれていた。

スマホのメモには、A先輩との会話の内容を箇条書き。
彼が笑ったタイミング、話した言葉、
些細な表情の変化すら書き留めてしまう始末だった。

そして、その夜。

私はまた、“運命の人診断”をやっていた。

同じ診断を、別名義で。
別アプリでも。
Twitterで見かけた“誕生日占い”も。
「名前でわかる恋の相性」みたいなやつも。

結果の内容が少しでもA先輩に近ければ、
私はそれを“答え合わせ”として受け入れてしまった。


“好き”になる理由がほしいだけなのかもしれない

「なんかさ、すっごい納得しちゃったの」

翌日、マナにそんな風に話した。

「診断って、“自分で勝手に意味づける”から当たるんだってわかってるのに、
 それでも、背中押してほしくなる」

「うんうん、わかる。
 だってそれが“恋のはじまり”って感じするもんね」

マナは笑いながらも、真剣な顔でうなずいた。

「で? 先輩とはどうだったの?」

「いや、ふつうにちょっと話しただけ」

「でもさ、そこから始まるパターンもあるよ?」

……たしかに。
たしかにそうなのかもしれない。
“ふつうの会話”から、“特別な関係”になっていく人なんて、
いくらでもいるはずだ。

「もうちょっとだけ、信じてみようかな」

自分にそう言い聞かせるように、私はつぶやいた。


“恋の前兆”は、だいたい思い込みからはじまるらしい

その週末、私はA先輩の投稿に“いいね”を押した。

勇気を出して、
さりげなくリアクションして、
少しずつ存在を思い出してもらおう――そんな気持ちだった。

そしてその翌日、
A先輩が私のストーリーズに反応してくれた。

(やばい……これは、確実に来てる)
(向こうも、ちょっとは気になってる……よね?)

占いも診断も、“気のせいじゃないよ”って言ってくれてる気がした。
わたしは、自分の気持ちが本物になっていくのを感じていた。

でも――

このときの私は、
まだ知らなかった。

この“恋”が、
思っていたよりも、ずっと一方通行だったことを。

告白まがいのアプローチ、そして空回りの気配


SNSでのちょっとした反応のやり取りが続いたある日、
私は思い切って“直接会って話せる口実”を作ってみることにした。

図書館でもう一度会うのは偶然性が高すぎるし、かといって「今度お茶しませんか?」なんて唐突すぎる。

だから私は、「本、貸してほしい」という作戦を使った。


“本の貸し借り”は恋のはじまり……だと信じてた

「先輩、この間読んでた〇〇さんの小説、前に話してたやつですよね? もしよかったら、読んでみたいんですけど……」

SNSのDMでそう送ると、すぐに既読がついた。
そして、しばらくして返ってきた返信にはこう書かれていた。

「全然いいですよ。今週の木曜、大学の食堂とかでどうですか?」

木曜日。ちょうど講義がかぶっている日。
しかも“食堂”という、絶妙に気軽で、絶妙に期待を持たせる場所設定。

私はその文字を見ただけで、
「あ、これはやっぱり脈アリじゃん……」と、盛大に勘違いしていた。


勘違いは、静かにふくらんでいく

木曜日の昼。
私は、食堂にしてはちょっと気合いの入った格好をしていた。

ナチュラルメイク、揺れるピアス、ちょっとだけ高めのパンプス。
「今日は本を借りるだけじゃない」
自分でもそう思っていた。

先輩は、指定されたテーブルで既に待っていた。
相変わらず落ち着いた雰囲気で、柔らかく手を振ってくれた。

「はい、これ。大事なやつだから、丁寧に読んでね」
と手渡された文庫本は、角が少し丸まっていて、
ところどころに付箋がついていた。

「ありがとうございます。……えへへ、めっちゃ嬉しいです」
緊張で語彙力がゼロになりながらも、私は笑っていた。

でも、違和感が少しだけあった。

なんだろう。
“友達感”が強いというか、あくまで“後輩に本を貸す先輩”という感じで。
恋愛フラグが立っているような雰囲気では……ない?


“告白”しないまでも、それに近い空気を作ろうとした私

食堂を出て、少し歩きながら話しているうちに、私は“最後の一押し”をした。

「……わたし、先輩と話すの、すごく落ち着くんですよね」

「そう? ありがとう(笑)」

「なんか、またこうやって話せて嬉しかったです」
「……また、どこかで、お話できたら……」

言葉を濁しながらも、私は“わたしはあなたに好意があります”というサインを送ったつもりだった。

でも、先輩は笑顔でこう返してきた。

「うん、また何かあったら気軽に声かけて」

――え? それだけ?

(いや、もっとこう、「今度ご飯でも」とか、「LINE交換しようよ」とか……)

“告白”というカードを切ったつもりだったけど、
相手はそのカードを、すっと机の下に戻したような反応だった。


SNS診断の言葉だけが、わたしの支えだった

帰宅してから、私は再びSNSを開いた。

運命の人診断。
先輩の特徴と重なる文章。
あの日の“当たってた”感覚。

「……違うわけない。たまたま今日がタイミングじゃなかっただけだよね」

心の中で、そんな風に自分を励ましていた。

そしてもう一度、“別の運命診断”を試してみる。
“運命の人は、再会を繰り返す”
“運命の人は、最初は気づかないこともある”
そんな文章が出てくるたびに、私は“信じたい気持ち”に上書きされていった。


でも、“現実”はもっと静かで無関心だった

それから数日。
私は先輩の投稿に「いいね」をつけたり、
ストーリーズに軽くリアクションしたりしていた。

でも――

返信はこなかった。

既読にもならないDM。
タイムラインに並ぶ、他の人との交流。
その中に“私”はいなかった。

「……あれ?」

じわじわと、冷たい現実が押し寄せてきた。

もしかして、
あの日の会話も、あのやりとりも、
全部“私だけが特別だと思ってた”だけなのかもしれない。


恋に浮かれて、自分を見失っていたのかも

「……マナ、わたし、ちょっと暴走してたかも」

その週末、マナとカフェで話したとき、私はそう切り出した。

「え、なになに。何があった?」

「先輩さ、本貸してくれて、食堂で話して……
 わたし的には“これって脈アリ?”って思ってたんだけど、
 ……多分、全然だった」

「マジか」

マナはストローをくるくる回しながら、
それでも優しい顔でこう言ってくれた。

「でも、そういうのも含めて、恋って感じするよ」

「恋じゃないよ。ただの……診断に踊らされただけ」

「……でも、それで自分の気持ちに気づいたのなら、それも本物だったんじゃない?」

その言葉が、少しだけ救いだった。


“信じたい”を超えて、“都合よく解釈してた”だけかもしれない

帰宅して、借りた本を読みながら、ふと気づいた。

たしかにこの本は面白い。
でも、それと“恋”は別だ。

あの日、先輩がくれた微笑みも、
会話も、思い出も――

全部“私の目線”から切り取った幻想だったのかもしれない。

「……先輩は、たぶん、最初からそういうつもりじゃなかった」

そう思った瞬間、胸がズンと重くなった。


“運命の人”って、誰が決めるんだろう?

診断に書いてあったこと。
「やさしい声」「話を覚えてくれてる」「本が好き」「猫が好き」

たしかに、先輩はその条件に当てはまってた。

でも、それって、
“運命の人”って言い切れるほどのことだっただろうか?

逆に言えば、
それらがひとつでも欠けていたら、
“運命じゃない”と判断していたのだろうか?

「……自分が勝手に、運命って思いたかっただけなんだよね」

そう、つぶやいて、スマホをそっと伏せた。

崩れていく診断の魔法と、あたしの気づき


「運命って、誰が決めるの?」
部屋のベッドに寝転びながら、私はスマホをいじる手を止めて、ふと考えていた。

あれだけ“当たってる!”って興奮していた「運命の人診断」も、
今となっては“ただの暇つぶし”に思えてしまう。

A先輩とのことが、“恋愛に発展しなかった”という事実が、
まるで魔法が解けたみたいに私を現実に引き戻していた。


「当たる」じゃなくて、「当てはめてた」だけだったんだ

SNSで見かける占い系の診断って、よくできてる。

“優しい声に安心感を覚えるあなたへ”
“本が好きな人に惹かれやすいあなたは…”
“記憶力が良くて話を覚えてくれる人と縁が深まる”……。

それ、全部、先輩に当てはまるように見えてた。

でも、ちょっと視点を変えれば、
どれも誰にでも当てはまるような内容だったことに気づく。

SNSの診断は「自分で自分を納得させるツール」なのかもしれない。
私はそこに、自分の“恋の正当化”を詰め込んでただけだったんだ。


“根拠のない言葉”に寄りかかってた自分がちょっと恥ずかしい

「……あの頃のあたし、痛かったなぁ」

マナにメッセージを打ちながら、思わず口元がゆるむ。

好きって感情って、自分でも制御が効かなくなる時がある。
勢いで突っ走って、いろいろ試してみたくなって、
でもそのほとんどは“空回り”で終わる。

そして、うっすら分かってくる。

**「これは、ただの“片想い”だったんだな」**って。


「自分を信じたい」気持ちが強すぎたのかもしれない

私は、占いや診断を信じていたというより、
「自分の気持ちが間違ってないって証明したかった」だけなんだと思う。

自分で選んだ“好きな人”を、
“運命の人”って言ってもらえたら、
それだけで報われた気がしたんだ。

でも本当は、相手がどう思ってるかが大事で、
診断結果なんて、恋の成否にはなんの影響も与えてない。

「……うん。冷静になってきた」

ベッドの隅っこでうつ伏せになりながら、
私はようやく、本当の意味で“自分の気持ち”と向き合いはじめた。


SNSで見かけた“占い商法”に、うっかり触れかけた話

そんなある日、私はまたSNSで、見慣れないアカウントからフォローされた。

プロフィールには「潜在意識と波動で恋愛成就/無料占い受付中」と書かれている。
過去の自分なら、「無料」の文字につられてDMを送っていたかもしれない。

でも、今の私はちょっと違う。

(これは……ちょっとアヤシい)

過去の診断系リンクと違って、そのアカウントはやたらと「当たる」という口コミをリポストしていた。
しかも「今なら無料鑑定」「3名限定」という言葉で、焦りをあおる投稿が続いていた。

私は、そのアカウントの過去ポストをじっくり見てみた。

すると、同じような口コミが繰り返されていた。
内容も、文章のテンプレも、投稿時間も、
どこか機械的で、不自然。

(これ……口コミ、ぜんぶ自作じゃない?)

そして気づいた。
“診断”とか“占い”って、
“恋に不安なとき”ほど、人はすがりたくなるってことに。


好きな気持ちにつけ込まれる時代になってた

“運命の人”
“波動が一致”
“引き寄せ”
“過去世からの縁”

……なんでもありになってる気がした。

もちろん、本当に信じてる人もいるし、
救われる気持ちも分かる。

でも、“信じたくなる時期”に、
不安につけ込んで“買わせる”“依存させる”人たちがいるのも、事実なんだ。

「先輩とあたし、縁あるって言われました♡」
「鑑定してもらったら運命の人って出た!」
「“来週から流れが変わります”って言われてドキドキ!」……。

ハッシュタグを追えば追うほど、
どれも“恋に悩むあたし”を再利用しているように見えて、
ちょっとだけ、悲しくなった。


もう、診断に左右されない恋がしたい

「もう、占いはしばらくいいや」
スマホを机に置いて、ため息。

今思えば、
“運命の人診断”を最初にやったときのあの高揚感こそが、
すでに“恋の始まり”だったのかもしれない。

あれは、「A先輩と何かあった」から信じたんじゃなくて、
「A先輩を好きになってた」から、そう思い込みたかっただけなんだ。

「うまくいかなくても、それはそれでいいじゃん」
と、ようやくそう思えるようになってきた。


占いのせいでも、診断のせいでもない。“あたし”が選んだ恋だった

「そっか。結局、わたしが全部決めてたんだ」

先輩に惹かれたのも、
話しかけたのも、
SNSで探りを入れたのも、
診断で気持ちを後押ししてもらったのも――

全部、わたしの選択だった。

「好きって気持ち、ちゃんとあったし。
 うまくいかなかっただけで、全部ムダってわけじゃない」

ほんの少し、心が軽くなった気がした。


“都合のいい未来予想”より、“今の自分”が信じられる方が強い

好きになるって、
ときどき“自分の理性”が効かなくなる。

でも、それでもいいと思う。

それで落ち込んだとしても、
それで空回りしてしまっても、
それはそれで“ちゃんと恋してた証拠”なんだと思えるから。

スマホのメモ帳を開いて、私はふとこんな文章を書いていた。

「運命は、“当たる”ものじゃなくて、“つくっていく”ものだった」

過去のわたしに笑いながら、ちょっとだけ優しくなる


「ねえ、昔の私って、こんなに面倒くさかったっけ?」

カフェでマナと話していたとき、
自分で発したその一言に、思わず二人で吹き出してしまった。

「まあ、面倒くさいっていうか……うん、純粋すぎたよね(笑)」

「“運命の人診断”に本気で人生託してたあの頃のわたし、ちょっとヤバかったよね」

「うん。でも、そういうのも含めて“若さ”だよ。たぶん今だから笑えるけど、当時は必死だったんだろうなって思うし」

マナはちゃんと私の気持ちをわかってくれる。
だからこそ、私はこうして恥ずかしい話も素直に笑える。


思い返せば、すべてが“恋に恋してた”んだと思う

大学の図書館で見かけた先輩、
SNSでのやりとり、
本を借りる口実で会いに行ったこと、
勝手に“運命”を確信したこと。

そのすべてが、
“恋そのもの”というより、
“恋をしてる自分”に酔っていたのかもしれない。

「マナさ、もしわたしが本当に先輩と付き合えてたら、今の私はどうなってたと思う?」

「うーん、Twitterで“運命の人診断、マジで当たった!”ってツイートしてたかもね(笑)」

「うわぁ、ダサッ!」

二人で大笑いしながら、
それでもちょっとだけ、胸がチクリとした。


“間違ってた”んじゃなくて、“遠回りしてた”だけ

あの時、A先輩との会話が空回りで終わったこと。
DMの既読がつかなくなったこと。
診断に振り回されたこと。

全部“痛い過去”として、ずっと封印してた。

でも今思えば、それってただの「経験値」だったんだと思う。

「なんかさ、あたし、恋のダンジョン1階で自滅してた感じしない?」

「わかる。モンスターに会う前に落とし穴踏んでるタイプ(笑)」

「しかも自分で“これが運命の扉だ!”とか言いながら自ら落ちにいってるの」

「中ボスどころか村人Aに振られてるやつじゃん(笑)」

マナの例えがうまくて、またしても二人で大爆笑。

でも、本当にその通りだと思った。
自分で盛り上がって、自分で撃沈して、勝手に失恋して、勝手に落ち込んでた。

それでも、「ちゃんと恋してた」ことに変わりはなかった。


“思い出し笑い”ができるようになったら、それはもう癒えてる証拠

昔の恋を思い出して、
あのときはああだった、こうだったって笑えるようになると、
なんだかもう、それは“乗り越えた証拠”なんだと思う。

しかも今回は、
“何も始まらなかった恋”だったのに、
こんなに語れることがあって、
こんなに笑えるっていうのが、なんだかちょっとすごい。

「マナはさ、昔の自分って思い出して恥ずかしくなることある?」

「え、ありすぎる!
 高校のとき、好きな人と話せるように、わざわざ同じ部活の先輩に“誘導”してもらったことあるよ(笑)」

「うわ、それもまあまあヤバい(笑)」

「でしょ。でも、あのとき必死だったから後悔はしてない」

「わかる。わたしも今となっては笑い話だけど、“その時の全力”だったから、なんか許せるんだよね」


SNSの“恋バナ”はリアルと妄想の境界があいまいになる

最近気づいたことがある。

SNSで見る“恋の成功体験”って、
必ずしもリアルじゃない。

“当たった診断”も、
“たまたま出会った運命の人”も、
“急接近したあの人との距離感”も。

それって、ほんの一部を切り取って、
“ドラマティックに見せてるだけ”の可能性だってある。

私もそうだった。
もし先輩がちょっとでも反応くれてたら、
絶対SNSで「これって運命?」ってポストしてたと思う。

でも、それって“本当の運命”じゃなくて、
“自分がそう思いたいだけの話”なんだよね。


“運命”よりも、“行動できた自分”を褒めたい

あの日、SNSで見つけた診断をきっかけにして、
私は自分の気持ちと向き合った。

本を借りに行って、
ちょっとだけおしゃれして、
ドキドキしながら会話して――
それが全部、私の行動だった。

「行動したから、モヤモヤもハッキリした」
「行動したから、勘違いにも気づけた」
「行動したから、笑い話にもできた」

SNS診断がどうとかじゃなく、
“ちゃんと自分で恋をして、自分で進んだ”ことが、
一番誇らしい。


“当たってたか”じゃなく、“どう向き合ったか”が大事だった

マナとの会話の帰り道。
ふと思った。

「占いとか診断って、
 当たったかどうかじゃなくて、
 その結果を“どう受け止めたか”が大事なんだな」って。

それを言い訳にして恋を始めてもいい。
自信のきっかけにしてもいい。
でも、全部をそれに委ねてしまうと、
いつか自分が見えなくなる。

私は、A先輩のことも、運命診断のことも、
ちょっと冷静になって見られるようになってきた。

今の私は、前より少しだけ、恋に強くなった気がする。


“笑い話”にできた恋は、ちゃんと心に残っていく

自室で、読み終えた本を返す準備をしていたとき、
ページの端に自分の付箋を見つけた。

“このページ、あのときの会話に出てきたところだ”

小さな感情の痕跡が、本のなかに残っていた。

だけど、不思議と胸は痛くなかった。
むしろちょっとあたたかい。

「いい恋だったな。……って言えるくらい、ちゃんと向き合ったし」

私は、封筒に本を入れて、メッセージを一言だけ添えた。

「本、ありがとうございました。とてもいい作品でした。」

シンプルで、誰にでも送れるような言葉。
だけど、そこにこもっているのは、
“あの頃の自分とのお別れ”だった。


もう一度、自分の気持ちを信じてみたくなった

A先輩とのやりとりが終わってから数週間後。
私は、図書館で新しい小説を手に取っていた。

すると、偶然その隣にいた人が、
同じ本を手にして、ふと目が合った。

「あ、その本、めっちゃ良いですよ」

「そうなんですか? 初めて読もうかと思って」

「泣きました、わたし」

自然に始まった会話。
それは、あのときとは違って、
“診断”も“占い”もない、ただの“人と人”としての出会いだった。

「じゃあ、貸しましょうか?」

「えっ、いいんですか? ありがとうございます」

恋になるかどうかなんて、まだわからない。

でも――
「この瞬間を、ちゃんと見ていたい」
「診断とかじゃなく、自分の目で感じていたい」

そう思えるようになったことが、
いちばん大きな成長だったかもしれない。

“あの頃のわたし”と、今のわたしが並んで笑ってる


「あの時の自分が今の自分を見たら、どう思うかな?」

ふと、そんなことを考える瞬間がある。

真剣に、無我夢中で「運命の人診断」にのめり込んで、
“恋の確信”を持って突っ走った、あの頃の自分。

「今のわたしの方がずっと冷静だし、現実もわかってるし、
SNSのウソもちゃんと見抜けるようになったし」

なんてちょっと大人ぶってみるけど――

あの時の私はあの時なりに、一生懸命だった。
たった数行の診断結果に心揺らして、
本気で「これだ」と信じて、
どうにか自分を動かそうとしていた。

それは、恥ずかしいことじゃなかった。

むしろ、何かを信じて動けたことが、ちょっと誇らしくもある。


「占い」や「診断」がくれたのは、“後押し”だったのかもしれない

正直、今でもたまに診断や占いをやることがある。

SNSで流れてくる「今週のあなたの恋愛運」とか、
「LINEで好きな人に送るべき一言」とか。

前よりは軽く流せるようになったし、
“あ〜そうきたか〜”って笑いながら読む余裕も出てきた。

でも、あの頃みたいに
「この人が運命の人に違いない!」って信じることは、
きっともうないだろう。

それが“大人になった”ってことなのかもしれないし、
ちょっとだけ“寂しい”って気持ちもある。

でも――

そのかわりに、
「自分の気持ちに素直になる」っていう力が
少しずつ育ってきた気がする。


“自分の感覚”を信じるって、怖いけど自由だ

「運命の人診断」が教えてくれたのは、
“誰かに決めてほしかった”という自分の弱さだった。

恋をして、迷って、
「誰かが正解をくれたら楽なのに」と思って、
他人の言葉にすがりたくなったあの頃。

でも、結局は自分で決めるしかないんだって、
何度も失敗して、何度も恥かいて、ようやくわかった。

「自分の気持ちに従って動いた結果なら、たとえ傷ついても後悔しない」

って、今なら本気で言える。


そして、また少しずつ恋をしたくなる

いまだに、A先輩とは特に進展はない。
偶然すれ違うこともあるけど、ただの挨拶で終わる。

でも、そのことで落ち込んだりはしない。

むしろ、笑顔で挨拶できるようになった自分に、
ちょっとだけ「よくやったね」って言いたい。

恋って、特別な誰かとだけするものじゃなくて、
“過去の自分と向き合うこと”でもあるのかもしれない。

「あのときは必死だったね」
「その勇気、今もちゃんとあるかな?」
そんなふうに、自分自身と会話するような感覚。

だから、たとえ誰かと付き合っていなくても、
私は今、ちゃんと“恋の中”にいる気がしてる。


SNSには“運命の人”より、“おもしろい自分”を残したい

あのとき、運命の人と出会えなかったことは、
今ではまったく悔やんでない。

むしろ、笑えるネタを一つゲットした感じだ。

“勘違いして告白まがいのことをした”
“その後、冷静になって自己嫌悪に襲われた”
“結局SNS診断なんてみんな同じパターンだった”

――それ全部、今となっては笑い話。

だから私は、これからもSNSで何かに振り回されることがあっても、
それすらネタにして笑える自分でありたいと思う。

恋愛でも、就活でも、失敗でも、空振りでも。
「おもしろく生きてるね」って言われる方が、
“運命の人に出会ったね”より、私にとってはずっと嬉しい。


未来のわたしへ。診断じゃなく、直感を信じて。

この話を書いている今、
少しだけ自分を客観視できるようになってきた。

過去の自分には、ちょっと照れるし、
「もうちょっと冷静に!」ってツッコミたくもなるけど、

それでも――
「よくやったよ、あのときの私」って、心から思える。

あのときの行動が、
今の私の笑顔をつくってる。

だから、未来のわたしに伝えたい。

「診断に頼るのもいいけど、
最後は“自分の直感”をちゃんと信じて」

たとえその直感が外れたとしても、
動いた結果ならきっと笑えるから。


「恋バナのはずが、いつの間にか“自分探し”になってた」

そんな日々こそ、
私にとっていちばんの青春だった気がする。

そして、これからも私は、
SNSの波にちょっとだけ流されながら、
でもちゃんと自分で舵をとって、
新しい恋と、出会いと、笑いを探していくつもりだ。

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この記事を書いた人

元Webプログラマー。現在は作家として活動しています。
らくがき倶楽部では「らくがきネキ」として企画・構成、ライターとして執筆活動、ディレクション業務を担当しています。

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