はじまりは、ただの「通勤がしんどい」だった
朝の満員電車が、すべての元凶だった
毎朝の通勤電車、わたしにとってはもはや「小さな戦場」だった。
ギリギリで滑り込むドア。息苦しい空気。
「すみません」「あ、足……」の小声ラッシュ。
自分の荷物をどこに置いたらいいのかすら迷ってしまうほどの混雑。
職場に着いた頃には、すでに一日ぶんのHPが削られているような状態だった。
最初は我慢していたけれど、ある朝、ふと思ってしまった。
「車、買おうかな……」
それまで車にまったく興味がなかったわたしが、人生で初めて本気でそう思った瞬間だった。
“移動の自由”がくれた、新しい朝
そこからは早かった。中古の軽自動車を買って、保険に入って、
ペーパードライバー講習を1日みっちり受けて――晴れて「車通勤ライフ」が始まった。
最初の1週間は、ただただ感動だった。
・電車に乗らなくていい
・スーツでも動きやすい靴で出勤できる
・自分の好きな音楽で朝のテンションを調整できる
「車ってすごい!」と、無邪気に感動していた。
朝、自宅を出るときにドアを閉める音。
駐車場でエンジンをかける瞬間。
通勤ラッシュを横目にスルッと信号を渡れる快感。
これはもう、“移動手段”を超えていた。
まるで、自分だけのちいさな部屋がもうひとつできたような感覚。
ある日、気づいてしまった。「もっと快適にできるかも」
車通勤が板についてきたある日、
なにげなく助手席に放り込んだバッグが、カーブのたびにゴロンと倒れて中身が散らばった。
「……あれ? こういうの、なんとかならないのかな」
そんなふうに思ったのが、すべての始まりだった。
翌日、近くの100円ショップに立ち寄って、
「バッグホルダー」を買ってみた。
結果――めちゃくちゃ快適だった。
バッグが倒れない。それだけなのに、こんなにストレスが減るとは。
まるで魔法だった。
それ以降、「車内の不便ポイントを見つけて改善する」という謎の熱意に火がついてしまった。
100均・カー用品・Amazon……全部が“宝の山”に見えてくる
たとえば:
- ダッシュボードに滑り止めシートを敷く
→ 小物が転がらない!最高! - 日除けにおしゃれなカーテンをつけてみる
→ 日差しカット+外からの視線もカット! - ペットボトルが立たないカップホルダーの代わりに、ドリンクトレイを設置
→ 車内カフェ爆誕!
それだけでは終わらなかった。
・ハンドルカバーで冬の冷たさを防止
・USBポートでスマホ充電常備
・リップと除菌ウェットと絆創膏をまとめた「女子カーセット」配置
やればやるほど、車内が「自分だけの快適空間」になっていった。
「これ、もう半分秘密基地だな……」と自分で思うくらいには、生活感のある車になっていった。
車にいる時間が、逆に“癒しの時間”になった
ちょっと早起きして、コンビニでコーヒーを買って、
車内で静かに音楽を聴く――そんな朝が、いつしか日常になっていった。
渋滞すら、「集中できる音楽鑑賞タイム」になる。
雨の日も、エンジンを切ったあとも、
車内の心地よさに包まれて、ついつい降りるのが遅くなる。
「これって……通勤してるっていうより、通勤中に“くつろいでる”のかも」
気づけば、家にいるより車の中の方が落ち着く時間もあるくらいだった。
「この空間を、もっとよくしたい――」
その思いは、まだまだ止まらなかった。
“快適すぎる車内”は、やがて暴走を始める
気がつけば、荷物がひとつ、またひとつと増えていく
快適さを求めて始めたはずの車内改造は、いつの間にか**ちょっとした“依存”**になっていた。
100均、ニトリ、カー用品店、Amazonのセールページ。
「使えそう」「これもあったらいいかも」と、次から次へと“便利グッズ”が目に入る。
・ふかふかの腰クッション
・取り外せるトレイ付きハンドルカバー
・加湿器(USB式)
・車内用スリッパ(謎)
毎週末にはどこかしらの店に寄って、新しい“アップデート”を加えていった。
もはやそれは「買い物」というより、「車内生活のアップグレード」で、
自分の中ではまるで、スマホのOS更新みたいな感覚だった。
社内BGMから、まさかの“自然音ループ”へ
音楽アプリで「通勤快適プレイリスト」なるものを作っていたある日、
なぜか「自然音」が心地よく感じるようになってしまい、
通勤中のBGMはいつの間にか**“小川のせせらぎ”**になっていた。
しかもBluetooth接続されるたびに再生が始まる設定になっており、
信号待ちで窓を少し開けていたら、隣の車の人に思いきり聞かれていてちょっと恥ずかしかった。
それでもやめなかった。
「もうこれ、通勤じゃなくて森の中にいる感覚だな」と本気で思っていた。
もはや“外出”ではなく“帰宅”
ある日、職場の後輩に「車で通勤って、やっぱ楽ですか?」と聞かれ、
わたしは即答してしまった。
「うん、もう通勤っていうより、車に“帰ってる”感覚だよね」
その場では笑って流されたけど、よく考えたらこの感覚、けっこう危険かもしれない。
つまり私は、「家→車→会社→車→家」のサイクルの中で、
車の中が一番安心している空間になっていたのだ。
仕事帰り、コンビニでアイスを買って車内で食べることも増えた。
下手したら家に帰るよりも前に、車内で1日のリセットを済ませてしまっていた。
怪しい兆候①:収納グッズが増えすぎて“宝探し”状態に
快適さを追い求めて設置した収納グッズが、いつの間にか自分の首をしめていた。
・助手席後ろにかけた収納ポケット
・トランク横の小物ポケット
・運転席横のスマホ&リップ専用スペース
・運転席下に忍ばせた予備バッグ&ウェットティッシュ&エコバッグ
どこに何を入れたのか、自分でも把握しきれなくなっていた。
「あれ?リップどこやったっけ……」
「充電ケーブルはこのポーチに……あれ、ない……」
「買ったばっかのハンドクリーム、どこに仕舞ったんだ……?」
いつの間にか、**車内での“宝探しタイム”**が始まるようになっていた。
怪しい兆候②:職場の人に“車で生活してる人”扱いされる
「イッチさん、今日も車に住んでるんですか?」
ある日、同僚のユリちゃんに笑いながら言われた一言が、地味に刺さった。
確かに最近、社内で「運転席で朝ごはんを食べる」「ランチもコンビニで買って車で済ませる」
なんてスタイルが定番になってきていて――よく考えたら、わたし、車の中で一日3食してる日もあった。
「車で生活してる」って、言われてみれば……うん、否定できない。
でもそのときのわたしは、まだ笑っていられた。
むしろ「車通勤、極めてきたな」くらいに思っていた。
そして迎えた、決定的な事件
それはある雨の朝。
出発直前、ワイパーの動きが鈍くて、
「まぁいけるかな」と軽く見ていたら、
途中からまったく動かなくなった。
急きょコンビニに停めて、ワイパーを拭こうとして車外に出たら――
トランクを開けても、工具箱が見つからない。
「あれ?どこ入れたっけ?」と焦ってるうちに、雨はどんどん強くなり、
運転席から助手席、後部座席、収納ポケットを全部ひっくり返す羽目に。
そのとき思った。
「私……何やってんだろう」
“迷子”になったのは、車の中じゃなく、自分の中だった
あの朝の出来事が、すべての転機になった
ワイパーが動かないまま降り続ける雨。
停めたコンビニの駐車場で、車内をひっくり返しながら、必死に工具を探すわたし。
座席の下。収納ポーチの奥。ドリンクホルダーの裏。
なぜかそこには、レシートの束や空のガムケース、何ヶ月も前の飴が入った袋まで出てくる。
でも、肝心の工具だけが見つからない。
車を整えるために買ったはずのモノたちが、
いざというときにまったく役に立たない。
それどころか、ただの“ノイズ”になっていた。
「こんなに頑張って整えてたのに、なんで今こんなに困ってるんだろう……」
その瞬間、なんだか泣きたくなった。
快適さを求めるあまり、本質を見失っていた
自宅に帰ってから、濡れた靴とジャケットを脱いで、
なんとなく、そのまま玄関に座り込んでしまった。
頭の中にずっと引っかかっていた感覚。
それは、「わたし、なにか間違ってたんじゃないか」という予感だった。
思えば、車通勤が楽しくて仕方なかった頃から、
“効率”とか“見た目”とか“整ってる感じ”ばかりを優先していたような気がする。
グッズを買うときも、「SNSで見たやつ!」「評価4.5以上!」とか。
収納する時も、「ラベル作って揃えたい」とか「統一感重視で!」とか。
でも、本当に大事だったのは、
いざというときにすぐ使えることとか、
自分にとって扱いやすい配置になってることだったんじゃないか?
それに気づいたとき、ようやく腑に落ちた。
“見た目の正解”より、“自分の生活の正解”がほしかった
その日の夜、思い切って車内を全部片づけ直すことにした。
まずは、座席の背面にかけてた収納ポケットを外す。
使ってないグッズを一気に抜き取って、袋に詰める。
「えっ、こんなにいらなかったのか……」
床下から出てきたのは、未開封の使い捨てスプーン8本、
飲みかけで放置されていたミニサイズの化粧水、
“予備の予備”のUSBケーブルが3本。
何をそんなに備えていたんだろう、わたしは。
整理してる途中で、自分で笑ってしまった。
やっと“車に住んでる人”じゃなく、“車を使ってる人”に戻れた気がした
不要なものを取り除いて、
必要なものを必要な場所に戻していくうちに、
車の中がどんどん“呼吸できる空間”に戻っていった。
ドアを開けた瞬間のごちゃつきがなくなり、
視界も手元も、以前よりずっとスッキリしていた。
不思議なことに、片づけ終わったあと――
「この車、ちょっと広くなった?」って本気で思った。
いや、広くなったんじゃなくて、
“私の心のスペース”が少しだけ空いたのかもしれない。
「車通勤=快適」の公式は、ちゃんと手入れされてこそ
快適な空間って、ただグッズを増やしたり、見た目を整えることじゃなかった。
“自分がちゃんとメンテナンスできる状態”であることが大事なんだ。
無理して整えても、それは長続きしない。
SNSでバズってる収納方法だって、
自分の手の長さや動線に合ってなければ、逆にストレスになる。
結局のところ、
“誰かの理想の空間”じゃなく、
“自分の暮らしにフィットする形”を作ることこそが、
ライフハックなんだと知った。
でも、ひとつだけ残した“秘密基地アイテム”
あの夜、全部の収納を見直したなかで、
どうしても捨てられなかったものがある。
それは、天井につけた小さな星形のLEDライト。
夜、エンジンを切ったあと、ふわっと天井が照らされて、
“なんか今日もがんばったな”って思えるあの感じが、どうしても好きだった。
実用性はゼロ。でも、それでいい。
それは、わたしの“ささやかな秘密基地”の象徴として、今も残っている。
“女子なのに車詳しいね”と言われて、ちょっとだけムキになった
きっかけは、ちょっとした故障だった
片づけを終えてしばらく経ったある日、
エンジンをかけた瞬間、車が少しだけガタついた。
「あれ? なんか変?」
車に詳しいわけじゃないけど、日々乗っているからこそ気づく“違和感”ってある。
その日はそのまま動いたけど、気になって調べてみたら、
どうやらバッテリーの寿命が近いサインだったらしい。
すぐにカー用品店に行って点検してもらうと、やっぱりバッテリーが弱っていた。
店員さんに「交換しておきますね」と言われたけど、
なんだか急に、こう思った。
「自分でやってみたいな」
“自分の車”に、ちゃんと自分で向き合いたくなった
なぜかそのとき、あの雨の日のことが頭をよぎった。
ワイパーが止まって、道端で工具を探してたときの焦り。
あれから、便利さの裏で“自分がどれだけ無力だったか”を知った。
だから、思ったのかもしれない。
この車と、ちゃんと向き合いたい。
“車通勤者”としてじゃなく、“車の持ち主”として。
とはいえ、いきなり全部を自分でできるわけじゃない。
だからまずは、小さなことから始めてみることにした。
「タイヤの空気圧って自分で見れるんだ…」という驚き
まず試したのは、空気圧のチェック。
ガソリンスタンドで「セルフ空気圧コーナー」の説明を読んで、
周りを気にしながらタイヤのキャップを外して、
数字を見て、圧を調整してみる。
…やってみたら、意外と簡単だった。
「えっ、これだけでいいの? なんか、ちょっと嬉しい…」
正直、自分で空気圧を見るなんて考えたこともなかった。
でも、いざやってみると、できることが“自信”に変わる瞬間がちゃんとあった。
周囲の反応が、思ったよりざわついた
ある日、職場の休憩中に「昨日、タイヤの空気圧調整してみたんだよね」と話したら、
同僚のミカちゃんがびっくりした顔で言った。
「え、女子なのに車いじれるの?すご!」
……うん、それ。
一瞬「ん?」ってなったけど、悪気がないのもわかる。
でも、なんとなく引っかかった。
“女子なのに”。
その言葉、ちょっとだけムキになるスイッチを押された気がした。
工具セット、買ってしまいました
それからというもの、夜な夜なYouTubeで「初心者でもできる車の整備」動画を見る日々が始まった。
- ワイパーの交換方法
- オイルチェックのやり方
- ヒューズの見方
「へぇ〜これって自分でできるんだ…」と目からウロコの情報ばかりで、
気づけばホームセンターで初心者向け工具セットを買っていた。
初めてのトライは、ワイパーのゴム交換。
パチンと外して、新しいものをはめ込む。
それだけなのに、作業が終わったときの達成感がすごかった。
なんというか、「車が“自分の持ち物”になった」って実感が、ようやくわいた。
“女子だけど”じゃなく、“わたしだから”できるようになりたい
わたしは整備士になりたいわけでもないし、
エンジンを開けて何かいじれるほどのスキルはない。
でも、“困ったときに自分で対処できる”安心感は、
どんなクッションよりも、どんなおしゃれな収納よりも、
よっぽど車内QOLを上げてくれるってことに気づいた。
車は、“便利”だけじゃない。
それをちゃんと「使いこなす力」があるかどうかで、
快適さはまるで違ってくる。
そう気づけたのは、“女子なのに”って言葉にちょっとだけムキになったおかげだった。
“ちょうどいい”って、自分で決めていいんだ
100点じゃなくていい。70点の快適が、一番ちょうどよかった
車内を徹底的に整理してから、約1ヶ月が経った。
あれほど“完璧”を求めていたわたしが、今はどこか肩の力を抜いて運転している。
助手席の収納ポケットはなくなった。
運転席まわりの装飾も、ほぼシンプルになった。
けど、それがかえって快適だった。
スマホを置く場所は決まってるし、充電ケーブルは1本で充分だった。
リップもハンドクリームも、運転中に使わなければ車内に置いておく必要なんてなかった。
「整えること」って、いかに持つかじゃなくて、
いかに“持たなくていい状態”をつくるかなんだって、やっと気づいた。
生活に合わせるんじゃなくて、自分に合わせていく
この頃から、“何かを買う前に一拍置くクセ”がついた。
ネットで見つけた便利そうなグッズ。
SNSでバズってた収納アイテム。
「あ、これ良さそう」と思っても、まずはこう考える。
「それって、本当にいまの自分に必要?」
たとえば、以前気になっていた車内ミニ冷蔵庫。
たしかに夏は魅力的だけど、よく考えたらわたし、
「通勤途中に冷やしておきたい飲み物って特にないな」と思ってやめた。
選ばない勇気、持たない選択。
それが、なんだか心地よくなっていた。
“人に見せたい車”じゃなくて、“自分が好きな車”でいい
ある日、妹が乗せてほしいと家まで来たとき、
ドアを開けてすぐにこう言った。
「えっ、前よりスッキリしてる!でも、なんかイッチっぽいね」
その言葉が、ちょっと嬉しかった。
“おしゃれ”でも、“機能性全振り”でもない。
だけど、“わたしらしい空間”になってるって、自分でも感じられた。
星形のLEDライトは、まだ天井にある。
朝のBGMは、せせらぎ音からJ-POPに戻った。
エコバッグはひとつ、シート裏に差し込んであるだけ。
すべてが、ちょうどいい。
“好き”と“ラク”の中間を探す時間が、ちょっと楽しくなった
どこかへ出かけたとき、ついカー用品コーナーに寄ってしまうのは、今も変わらない。
でも、あの頃みたいに“全部揃えたい”わけじゃなくて、
「これ、自分の車に合うかな?」「必要かもな?」と考える時間が、ちょっとした楽しみになっていた。
ある意味で、車はわたしの生活そのものを映す“鏡”みたいなものなのかもしれない。
片づいてるときは、心も整ってる。
ごちゃついてるときは、ちょっと疲れてる。
新しいものを入れたくなるときは、なにか変化を求めてる。
車って、案外正直だった。
「快適」を、ちゃんと自分の手で作れたという実感
整えすぎて迷子になったことも、
工具を探して雨に打たれたことも、
今となってはどれも、悪い思い出じゃない。
むしろ、あれがなかったら、いまの自分にはなれていない。
誰かの真似じゃない。
SNSのバズりでもない。
自分で選んだ“ちょうどいいカーライフ”が、ちゃんとそこにある。
そしてたぶん、こうやって迷いながらも整えていく作業は、
これからも続くのだと思う。
自分の“心地よさ”を、ちゃんと自分で守っていきたい
車内という“小さな部屋”で、自分と向き合った日々
思えば、あの通勤車はただの移動手段じゃなかった。
仕事と生活のあいだにある、**ちょっとした“避難所”**だった。
車の中で、誰にも邪魔されずに好きな音楽を流して、
コーヒーを飲みながら深呼吸して。
ときには泣いたり、ときには笑ったりして。
あの狭い空間の中で、わたしは確かに、
自分と向き合う時間を過ごしていた。
わたしにとっての「快適」は、モノじゃなく“あり方”だった
100均グッズで埋め尽くした時期もあった。
ラベルを貼って、見た目だけ完璧にしたこともあった。
でも、どんなに整えても、
心が置いてきぼりなら、全然「快適」じゃなかった。
わたしにとって必要だったのは、
**“自分のペースで整えられる空間”**だった。
たとえば、忙しい朝にはドリンクホルダーにお気に入りのタンブラーがあって、
帰り道には好きな曲がスピーカーから流れてくる。
それだけで、なんだか今日も大丈夫な気がする。
失敗したからこそ、手に入れた“ちょうどいい”
雨の中、工具が見つからなくて途方に暮れた日。
収納がごちゃごちゃになって、自分で仕舞ったモノを忘れていた日。
どれも、“やりすぎた”からこその失敗だった。
でも、だからこそ、いまはちょうどいいと思える。
ものすごく便利じゃなくてもいい。
完璧に片づいてなくてもいい。
“わたしが扱える範囲で、ちゃんと気に入ってる”。
それが、いちばん長続きする快適さなんだって、やっと気づけた。
「ちゃんと整えたい」は、「ちゃんと自分を大切にしたい」ってことだった
あのとき、何度も何度もグッズを買い集めていたのは、
ただ便利さを求めていただけじゃなかった。
「疲れた自分をいたわりたい」
「慌ただしい朝に、少しでも余裕を作りたい」
「なんとなく不安な毎日に、小さな安心がほしい」
そんな気持ちが、きっと根底にあったんだと思う。
車の中を整えることは、
自分の暮らしを肯定することでもあった。
通勤車が、“わたしの今”を象徴する空間になった
あの星形のLEDライトは、今も天井にある。
使い込んだUSBケーブルも、短くてちょっと曲がってるけど現役。
たまに外れかけるティッシュケースも、なんだかんだで気に入ってる。
“理想通り”じゃなくても、“わたしらしい”って思える空間。
この車で過ごす朝と夜が、わたしにとってのリズムになっている。
そして今日も、窓を少しだけ開けて、
深呼吸してから、エンジンをかける。
誰かにとってはただの車でも、わたしにとっては“小さな暮らし”
おしゃれじゃなくても、便利じゃなくても、
“わたしのための空間”を作れたことは、
それだけでちょっと誇らしい。
秘密基地のように愛していた日も、
迷子になっていた日も、
ぜんぶ含めて――今のわたしがある。
車という空間を通して、
わたしは「自分の心地よさ」を、自分の手でつかみにいった。
「快適さ」は与えられるものじゃなくて、
“自分で整えていく”ものなんだ。
そしてそれは、車の中だけじゃなく、
これからの毎日にも、ずっとつながっていく気がしている。